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September 2023

日本の伝統的な橋の歴史と名橋の数々

  • 1299年に描かれた「一遍聖絵(いっぺんひじりえ)」より。絵の上部に京都の堀川(当時)の板橋が描かれている。Photo: ColBase
  • 重要文化財である広島県 厳島神社の反橋 Photo: 松村博
  • 松村博(まつむら ひろし)さん 大阪市土木局橋梁課、計画局都市計画課、大阪市都市工学情報センターなどに勤務。主な著書に、『大阪の橋』(松籟社 1987)『日本百名橋』(鹿島出版会 1998)など。
  • 「東都両国夕涼之図(とうとめいしょ りょうごくばしゆうすずみのず)」《歌川貞房/画 天保(1830~43)頃》夕涼みの人々で賑わう橋の様子が描かれている。Photo: 江戸東京博物館
  • 滋賀県にかかる瀬田唐橋
    Photo: 松村博
  • 国宝になっている滋賀県の竹生島にある唐門 Photo: 松村博
  • 京都市の東福寺にかかる通天橋 Photo: 松村博
  • 京都・嵐山・渡月橋 Photo: 松村博
  • 東京にある小石川後楽園の通天橋 Photo: 松村博
  • 香川県高松市に所在する栗林(りつりん)公園の偃月橋(えんげつきょう) Photo: 松村博
重要文化財である広島県 厳島神社の反橋 Photo: 松村博

日本には主に木造の橋を建設してきた長い歴史がある。日本の橋に詳しい松村博(まつむら ひろし)さんに、日本の伝統的な橋の歴史と「名橋」と呼ばれる数々の橋について話を伺った。

松村博(まつむら ひろし)さん 大阪市土木局橋梁課、計画局都市計画課、大阪市都市工学情報センターなどに勤務。主な著書に、『大阪の橋』(松籟社 1987)『日本百名橋』(鹿島出版会 1998)など。

——日本の伝統的な橋について、古代からの歴史、そして特徴について教えてください。

近世以前の日本の橋は、ごく短い石の橋を除いて、そのほとんどが「木の橋」で、多くが木桁橋(もくげたばし)*です。その理由として、『木材の入手はどの地方でも比較的容易』『急流河川が多く、流れの阻害が大きい石造アーチのような形式が不適当だった』『山地が多いといった地形的な要因から、戦車や車を使った大量輸送が発達しなかった』などが考えられ、一般的な橋の技術革新はあまり進まなかったと思われます。

古代の橋の発掘例はいくつかありますが、木杭などが残っていたのを橋と判断しているもので、上部の構造が復元できた例はほとんどありません。『日本書紀(にほんしょき)』**などの文献に橋に関する記事が見られ、橋が架けられた位置は推定できますが、当時の構造まで復元するのは難しいのです。

1299年に描かれた「一遍聖絵(いっぺんひじりえ)」より。絵の上部に京都の堀川(当時)の板橋が描かれている。Photo: ColBase

その後、中世に制作された「絵巻物(えまきもの)」***に描かれた橋の絵にはかなりリアルなものがあり、これらから当時の橋の構造を推定することは可能だと思います。主要な橋は木桁橋で、小規模なものはほとんどが板橋や土橋などの簡易の木橋になっており、保田與重郎(やすだよじゅうろう)****が著書『日本の橋』で述べているように、「日本の橋は概して名もなく、その上哀れっぽい」ものがほとんどでした。

「東都両国夕涼之図(とうとめいしょ りょうごくばしゆうすずみのず)」《歌川貞房/画 天保(1830~43)頃》夕涼みの人々で賑わう橋の様子が描かれている。Photo: 江戸東京博物館

近世(16世紀後半~19世紀後半)になると、各都市のインフラ整備が進み、江戸(現在の東京)、京都、大坂を始めとして主要な城下町で橋が整備されるようになりますが、河川の性格や沖積平野(ちゅうせきへいや)*****という条件から木柱・木桁橋がほとんどでした。これらの木橋は木材の腐食もあり、洪水によって流されたり、火災にあったりして、かなりの頻度で修復をしなければなりませんでした。一方で、木桁橋を建設する技術が確立され、そのデザインも様式化されていきました。江戸時代後期に描かれた錦絵(にしきえ)******からその特徴を読み取ることができます。

江戸時代には九州の一部で石造アーチ橋が架けられるようになり、山口県の一部地域で石の刎橋(はねばし)*******も架けられましたし、本州のごく一部でも石造アーチ橋が見られますが、例外としてよいでしょう。

——日本における歴史的な「名橋」をいくつかご紹介いただけますでしょうか。

お答えする前に、「名橋」を次のように定義してみました。

  • 架設が強く望まれた橋
  • 技術的に優れた橋
  • 姿・形が美しい橋
  • 周辺の優れた環境に調和した橋
  • 古い歴史や伝承をもった橋
  • 利用者に親しまれている橋

「名橋」と呼ばれるためには、上記のような特徴を複数兼ね備えていることが必要であると思われます。各地に特徴的な「名橋」がありますが、あえて絞り込みますと、滋賀県の瀬田唐橋(せたのからはし)、京都府の宇治橋(「宇治橋と橋のたもとの老舗茶屋」参照)、大阪府の長柄橋(ながらばし)などが挙げられるでしょう。

滋賀県にかかる瀬田唐橋 Photo: 松村博

これらは長い歴史を持ち、古くからの伝承、物語が残されていると同時に、現在でも主要な橋として存続しており、人々の心を引き付けています。

また、日本政府から国宝や重要文化財に指定されている橋も名橋の範疇に入るでしょう。

国宝に今年(2023年)9月に指定された橋として、地震後修復された通潤橋(つうじゅんきょう。「近世石橋の傑作『通潤橋』」参照)があげられます。また、厳密には橋ではありませんが、豊臣秀吉の大阪城内にあった極楽橋の一部が琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)に移築され、唐門(からもん)として国宝になっており、貴重な橋の遺構と言えるでしょう。

国宝になっている滋賀県の竹生島にある唐門 Photo: 松村博

江戸時代以前の橋で重要文化財に指定されているものは、九州の石造アーチ橋、沖縄の天女橋以外はすべてが社寺の境内にあるものです。代表的なものをあげると、広島県の厳島(いつくしま)神社の3橋、京都市では、上賀茂(かみがも)神社とも称される賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)の3橋や、高台寺の観月台(かんげつだい)、東福寺の偃月橋(えんげつきょう)などです。また、滋賀県の日吉大社の3橋、栃木県の日光・二荒山(ふたらさん)神社の神橋(しんきょう)なども有名です。

そして、日本政府から「名勝」に指定されている山口県岩国市の錦帯橋(きんたいきょう。「世界的に稀有な木造アーチ構造を持つ錦帯橋」参照)は特筆すべきでしょう。錦帯橋の上部構造は、世界的にも例を見ない木造アーチ構造になっています。さらに急流に耐えるよう橋脚構造や河床の石敷きにも特別な工夫が施されているのも貴重です。今、ユネスコの世界遺産登録を目指していると聞いています。

京都市の東福寺にかかる通天橋 Photo: 松村博

——日本の橋ならではの特性を教えてください。また、日本人が培ってきた橋に対する捉え方、意識といった文化的な背景があれば、あわせてお聞かせください。

日本各地には、橋でおこる怪異現象、橋に宿る神、橋建設に際しての人柱(ひとばしら)********など、橋にまつわる物語が多く残されています。日本だけではないかも知れませんが、橋は網野善彦(あみのよしひこ)*********氏が指摘するように「無縁の場」、つまり境界にあってどこにもだれにも所属しない場として観念されていました。鬼(おに)**********などが出没する特別な場所として畏怖を感じていたのです。

一方で女性的なイメージで捉えられ、橋には女性の神が宿ると考えられたようです。その一つの「橋姫」が強い霊力をもつ存在から、愛に哀しむ女性のイメージに変化していったのは、日本人の感性が反映されているのでしょう。

また日本の神社の門前にある反りの大きな太鼓橋(たいこばし)***********と言われる橋は、神のみが通る橋と観念され、独特の形態を持っており、日本の独自性が高い橋の形態ではないかと考えています。神社には結界(けっかい)が設定され、太鼓橋が人の侵入を拒否するように見えます。しかし、神域に入る心構えを促す舞台装置であると考えることもできます。

大阪市の住吉大社の太鼓橋、祭礼のとき、神輿(みこし)が渡る Photo: 松村博

——特に海外から訪日される方々に、ぜひとも「見て」「わたって」いただきたい橋がありましたらお話しください。

橋が風景に溶け込み、その価値を高めている例はかなりの数があると思いますが、その代表的な例は、京都市の嵐山に架かる渡月橋(とげつきょう)でしょう。現在の橋は鋼製で、橋脚などは鉄筋コンクリート構造ですが、木橋を意識したデザインになっていて、周囲の景観によくなじんでいると言えるでしょう。

京都・嵐山・渡月橋 Photo: 松村博

その他、同じく京都市の三条大橋、先にお話しした錦帯橋、山梨県の甲斐猿橋なども上げることができます。京都府の宇治橋、滋賀県の瀬田唐橋などの歴史的「名橋」も、何とかその昔の木橋の雰囲気を残そうとする管理者の努力の跡が見えます。

東京にある小石川後楽園の通天橋 Photo: 松村博

また、日本の庭園は、自然の姿を写し取ったかのような造作の中に人工物である橋などを違和感なく配置することで独自の空間演出がなされていると思います。橋は庭を構成する要素、鑑賞対象であると同時に、庭を眺める場を設定している例も見られます。特に東京にある大名庭園の一つ小石川後楽園************は、石橋や赤く塗った木橋もあり、土橋なども適所に配置されており、様々な種類の日本の橋を一箇所で楽しむことができると思います。

香川県高松市に所在する栗林(りつりん)公園の偃月橋(えんげつきょう) Photo: 松村博

* 二つの支持台を設置し、その間に木の「桁」を置き、その上に板を敷いたシンプルな形式の橋。
** 720年に成立した日本初の正史。天武(てんむ)天皇の皇子舎人親王(とねりしんのう)が、元正 (げんしょう)天皇の命によって編纂した。全30
巻から成り、巻一・巻二は神代、他は歴代の国史である。
*** 日本の絵画形式の一つで、横長の紙(または絹)を水平方向につないで長大な画面を作り、情景や物語などを連続して表現したもの。
**** [1910~1981]文芸評論家。奈良県生まれ。昭和10年(1935)文芸雑誌「日本浪曼派」を創刊、伝統主義と近代文明批判を展開した。評論集に「日本の橋」などがある。
***** 平野の一種であり、主に河川による堆積作用によって形成される地形。
****** 18世紀後半以降にひろまった多色摺(ずり)の浮世絵版画。
*******岸に部材の一端を埋め込んで固定し、突出させた先端部に桁を渡した橋の形式。
******** 築城・架橋・堤防工事などの完成を祈って、神へ供える生贄 (いけにえ) として人を土中や水底に埋めること。日本では実際にはなかった習慣と考えられている。
********* (1928-2004)日本史学者。山梨県生れ。専門は日本中世史、日本海民史。著書に『日本中世の非農業民と天皇』『無縁・公界・楽』『異形の王権』『蒙古襲来』『日本の歴史をよみなおす 正・続』他多数。
********** 人間に危害を加える想像上の怪物,妖怪変化。
*********** 太鼓の胴のように上へ丸く反ったアーチ状の橋。
*********** 1629年に水戸徳川家の初代藩主・徳川頼房(よりふさ)が築造し、2代藩主・光圀により完成、江戸の大名庭園として現存する最古の庭園。東京都文京区所在。