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September 2023

宇治橋と橋のたもとの老舗茶屋

  • 全長101.8m、幅8.4m純日本風反り橋
  • 1672年に建てられた通圓茶屋の建物(京都府の指定文化財)
  • 宇治橋の西詰(西の端)にある紫式部像。「源氏物語」の最後の十帖が宇治を舞台にしていることから建てられた Photo: 宇治市役所
  • 10月の第一日曜日に行われる「宇治茶まつり」では、張り出した「三ノ間」から水を汲み上げる
    Photo: 宇治市役所
  • ひきたての宇治の抹茶をふんだんに使用した、濃厚な抹茶サンデー(通圓茶屋)
  • 海外からも関心が高い玉露「ふじつぼ」とお菓子のセット(通圓茶屋)
全長101.8m、幅8.4m純日本風反り橋

約1380年前に架けられた宇治橋は、日本でも最古の橋の一つとされている。また橋のたもとには、創業860年を超えるという茶屋があり、主(あるじ)は橋守(はしもり)として、今でも宇治橋を守りながらお茶を振るまい続けている。

京都市の南に位置する宇治市。宇治橋は、市の中心を流れる宇治川に架かり、平等院(びょうどういん)*と宇治上神社(うじがみじんじゃ)**という二つの世界文化遺産を結ぶ市のシンボルとも言える橋である。成り立ちについて、宇治市役所の観光振興課 観光企画係の方にお話を伺った。

「宇治橋は橋寺放生院(はしでらほうじょういん)***にある石碑に、646年に奈良の元興寺(がんごうじ)の僧・道登(どうと)によって架けられたと刻まれています。架橋以降、宇治は古都・奈良と京都などを結ぶ水陸交通の要衝となり、歴史の中で重要な役割を果たすようになりました。特に平安時代(794年~12世紀末)には、栄華を極めた貴族・藤原氏の別荘地として華麗な王朝文化が花開き、極楽浄土をこの世に具現しようとした平等院鳳凰堂(ほうおうどう)が建立されました」

宇治橋は、日本の文学史上の傑作「古今和歌集(こきんわかしゅう)」****や紫式部(むらさきしきぶ)*****作の「源氏物語(げんじものがたり)」******にも登場する。特に源氏物語では、五十四帖のうち最後の十帖が、主にここ宇治の地を舞台としていることで知られている。

宇治橋の西詰(西の端)にある紫式部像。「源氏物語」の最後の十帖が宇治を舞台にしていることから建てられた Photo: 宇治市役所

「現在の橋は、1996年3月に架け替えられました。現在はコンクリート製ですが、木桁橋(もくげたばし。P00下欄*参照)だった頃のデザインを活かし、檜(ひのき)製の高欄や桁隠しをあしらい、青銅製の擬宝珠(ぎぼうし) *******を冠すなど、宇治橋がもつ歴史的イメージを残しています。上流側に張り出したテラスのような「三ノ間」は、橋の守護神「橋姫」を祀った名残りなどとも言われ、16世紀の有名な武将・豊臣秀吉が茶の湯に使う水を汲ませたところとも言われています。近世に政治の中心が京都から江戸(現在の東京)へ移ってからも、宇治のお茶は高級茶として珍重され、現在に至っています」

10月の第一日曜日に行われる「宇治茶まつり」では、張り出した「三ノ間」から水を汲み上げる Photo: 宇治市役所

また、宇治橋のたもとには創業以来863年を数えるという通圓茶屋(つうえんちゃや)があり、現在もお茶を振るまい続けている。茶屋の主(あるじ)、株式会社通圓の代表取締役 通円祐介(つうえん ゆうすけ)さんにお話を伺った。

1672年に建てられた通圓茶屋の建物(京都府の指定文化財)
創業860年を超える通圓茶屋の通円祐介(つうえん ゆうすけ)さん(株式会社通圓代表取締役)

「宇治橋の橋守という守護役を任されたのが、通圓茶屋の始まりです。1160年からお茶屋の仕事をしています。合組(ごうぐみ)といって、茶葉をブレンドしてお味を調(ととの)えて作り上げていくのが仕事です」

近年は海外からもオリジナルの煎茶や玉露を求めて訪れる人もいるという。

ひきたての宇治の抹茶をふんだんに使用した、濃厚な抹茶サンデー(通圓茶屋)
海外からも関心が高い玉露「ふじつぼ」とお菓子のセット(通圓茶屋)

「私は、宇治橋の夕焼けの時間が好きですね。特に上流側は山や川がとてもきれいなので、宇治にお越しの際は是非見ていただきたい光景です」

* 1052年、藤原頼通(ふじわら よりみち)によって京都府宇治市に開かれた寺院。鳳凰を屋上に戴く鳳凰堂は国宝に指定されている。1994年に『古都京都の文化財』の構成資産として、宇治上神社等とともにユネスコ世界文化遺産に登録された。
** 国宝である本殿は、900年代に建てられた現存する日本最古の神社建築として有名。
*** 聖徳太子の発願により建てられた地蔵院。宇治橋が架けられてからは、橋の守り寺の役割を担ったと言われている。境内に宇治橋の創建年が刻まれた石碑「宇治橋断碑(うじばしだんぴ)」がある。
**** 905年に醍醐(だいご)天皇の勅命により紀貫之(きのつらゆき)ら4人の選者によって編纂された最初の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)。約一千首の和歌を二十巻にまとめて奏覧に供したものである。
***** 900年代(平安時代中期)の作家・歌人・女官。「源氏物語」や「紫式部日記」の作者として知られ、日本文学史を代表する一人である。
****** 源氏物語は日本を代表する古典文学として、世界的にも非常に有名な作品。全54帖のうち、宇治が舞台となった後半は特に宇治十帖と呼ばれ、宇治川の東岸、西岸に登場人物の住まいがあったと考えられている。
******* 宮殿や橋、渡り廊下などに設けた欄干を高欄という。高欄の柱頭部を飾る如意宝珠(仏教由来の、一切の願いが自分の意の如くかなうという不思議な宝のたまの意)の形に似せて作った飾りの金物ものを擬宝珠という。