VOL.192 MAY 2024
JAPAN’S HEALING FORESTS (PART 1)
人はなぜ、森へ行くとリラックスするのか。
私たちの多くは、森へ行くとリラックスすることを体験的に知っている。しかし、その理由について知る人は少ない。森林医学の世界的権威であり、「科学的なエビデンスを持った森林浴」を意味する「森林セラピー」を提唱している千葉大学名誉教授・医学博士の宮崎良文(みやざき よしふみ)さんに、森林浴のリラックス効果や予防医学的効果について伺った。
—森林浴とは何かについて、説明いただけますでしょうか。
森林浴とは、人が森へ行き、森と同調(シンクロナイズ)し、快適さを感じることです。人は、ある環境下にいるとき、その環境と自分のリズムが同調していると快適であると感じます。
人が森に行って快適さを感じるのは、人と自然の長い歴史があるからです。人が人になって600から700万年が経過しますが、多くの人が都市環境で生活するようになったのは、その0.01%以下、産業革命以降の200から300年に過ぎません。人は99.99%以上の時間を自然環境下で過ごしてきたことになります。遺伝子は数百年という短期間では変化できないため、人は自然環境に対応した身体を持ちながら、常に覚醒し過ぎた状態、ストレス状態、病気になりやすい状態で現代社会を生きているのです。
このように、人は自然環境の下で進化し、自然に対応するように作られているため、自然に触れるとリラックスするのです。私のこのセオリーは、ニュージーランドの研究者であるM.A. O'GradyとL.Meineckeによって、"Back-to-nature" theory(自然回帰理論)と命名されています。
ちなみに森林浴という言葉は、1982年に林野庁の秋山智英長官によって提唱されました。多くの人々に森を訪れてリラックスしてもらうことで、日本の森の価値を高めようとしたのです。そして、私は1988年、34歳の時に、こどもの頃から感じていた「人は、なぜ自然に触れるとリラックスするのか」という疑問の解明に向けて、森林浴研究をスタートさせました。
—森林浴研究のために、どのような実験を行われたのでしょうか。
私たちの研究チームは、森林と都市でストレス状態がどのように変化するかという実験を行い、森林によるリラックス効果を科学的に解明してきました。
1990年、屋久島で行った実験は、唾液に含まれるストレスホルモンの一種であるコルチゾール濃度を、当時の最新技術を使って分析した世界初の森林浴生理実験となりました。
さらに、2005年に立ち上がった「森林セラピー基地構想」では、全国の自治体や企業と協力しながら、全国63の森林と都市で756名の被験者に参加してもらい実験を行いました。「森林セラピー基地構想」は、森林浴の科学的エビデンスを蓄積することと、森林の価値を高めることによる市町村の活性化を目的にしたもので、私たちのチームはエビデンスの蓄積に向けた大規模実験を担いました。1箇所の実験に研究チーム・被験者・自治体のスタッフなど約50名が参加し、4〜6日がかりで森と都市でフィールド実験を実施しました。さらに、視覚・嗅覚・聴覚を介した室内実験も行いました。63箇所にも及ぶ実験は世界にも例を見ませんし、日本の森林浴研究が世界をリードすることにもつながったと思います。
—そういった実験からどのようなエビデンスが得られたのでしょうか。
私は、2003年に「科学的なエビデンスを持った森林浴」を意味する「森林セラピー」を提唱しました。2018年までの「森林セラピー基地構想」における実験により、森林環境下では人の身体に以下のような変化が起きることを明らかにし、リラックス効果が得られることを解明しました。
- ストレス時に高まる交感神経活動の低下
- リラックス時に高まる副交感神経活動の上昇
- 脈拍数の低下
- 血圧の低下
- コルチゾール(ストレスホルモンの一種)濃度の低下(図1)
- 脳前頭前野活動の鎮静化
また、長野県赤沢自然休養林と鳥取県智頭町(ちづちょう)では、散策、瞑想、深呼吸、閉眼での歩行、滝に向かって心配事を洗い流すなどのイベントを含む「森林セラピープログラム実験」を実施し、興味深いデータを得ることができました。高血圧者の血圧低下に対する継続効果があることが分かったのです。森林セラピー後の血圧低下だけでなく、職場復帰の3日後、5日後も血圧が正常値を保つことが明らかになりました。
さらに、森林浴には身体の生理機能を調整する効果があることも分かりました。92名による15分間の森林歩行によって、高血圧の人の血圧が低下するだけでなく、低血圧の人の血圧は上昇したのです(図2)。同じ人が都市を15分歩いても、このような効果はありませんでした。私たちは、森林浴が血圧を正常値に向かわせる効果を「生体調整効果」と名付けました。
私たち研究チームは、森林セラピーによって病気を治すことはできないが、病気になりにくい体にすることはできるという科学的エビデンスを示しました。これによって、森林セラピーの「予防医学的効果」は、医療費削減にも貢献すると期待されています(図3)。
—医学博士である宮崎さんが、自然と人、両方の研究をされているのはなぜでしょうか。
森林セラピーは、自然が人にもたらす影響の研究が中心になりますが、日本においても、欧米においても、自然と人の両方を研究・教育するシステムはありません。私は、人と森林の研究者になることを目指していたわけでありませんが、結果的に東京農工大学農学部で学び、東京医科歯科大学医学部で助手を務めたことにより、農学と医学、つまり自然と人の研究領域にネットワークを持つことになりました。これまでにも私は、アメリカのCenter for Health and Global Environment at the Harvard School of Public Healthのセンター長や、フィンランド森林研究所の所長から、「どうすれば医学部と融合した研究が行えるのか」という相談を受けたことがあります。
自然の研究と人の研究の融合は過渡期であり、今後、森林セラピーに限らず様々な領域の融合の重要性が増してくると思います。
—海外から訪日される方々に、おすすめの森林を教えてください。
「森林セラピー基地構想」の認定森林は、私たちの研究チームによる科学的エビデンスだけでなく、宿泊施設や病院、バリアフリーロードなどの「ハードウェア」と、そば打ちや木工体験、お弁当・食事などの「ソフトウェア」、それぞれの地域が提供できるサービスをもとに認定されています。日帰りコースや1泊2日コースのモデルプランなどが用意されています。
最初におすすめするのは、長野県の「赤沢自然休養林」です。日本の森林浴発祥の地とされており、非常に高いレベルの森林セラピー活動を行っています。春と秋には特別な森林浴大会を開催しており、森林鉄道体験や川遊びなど、こどもと一緒に楽しむプログラムも用意されています。
東京都の奥多摩町は「日本一巨樹の多い町」として知られており、首都圏からのアクセスも良いのでおすすめです。
また、鳥取県の智頭町も質の高い森林セラピープログラムを開発しており、企業の研修プログラムとしても導入されています。
北海道の津別町(つべつちょう)もスノーシュー体験*や星空プログラム**など四季の変化を取り入れた様々なプログラムを用意しています。
日本は、世界でも有数の森林大国です。日本を訪れる際には、美しい自然のリラックス効果とともに、各地の自然が産んだ日本文化を楽しんでください。
* スノーシューと呼ばれる雪上歩行器具を装備し、雪山をトレッキングする森林セラピープログラム
** 森で星空を眺める森林セラピープログラム
By Kawamura Yusuke
Photo: Agematsu Town Tourism Association; Nonno-no-mori Nature Center