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April 2023

嚴島神社:山と海の境界に立つ神社

  • 2022年12月に修理を終えた大鳥居
  • 嚴島神社の御本社
  • 大鳥居と、背後の御本社
  • 御本社につながる廻廊の一つ
  • 大鳥居を臨む、桜に囲まれた嚴島神社の多宝塔(右)(2023年3月現在、多宝塔は、屋根の葺き替え工事用の足場で囲まれている。)
2022年12月に修理を終えた大鳥居

広島県廿日市市(はつかいちし)の嚴島神社(いつくしまじんじゃ)は、山、海、建築が織りなすその色彩や姿の見事なコントラストで世界に知られている。

嚴島神社の御本社

1996年に世界遺産に登録された嚴島神社が建つのは広島県廿日市市の厳島。厳島は瀬戸内海西部の広島湾に浮かぶ周囲約30キロメートルの楕円形の島で、一般的には宮島(みやじま)とも呼ばれている。フェリーで、本土から宮島までは10分程だ*。

大鳥居と、背後の御本社

標高535メートルの弥山(みせん)を主峰とする山々が連なり、深い森に覆われた宮島は、古くから自然崇拝の対象であった。嚴島神社は593年、島を治めていた佐伯鞍職(さえき の くらもと)によって、背後に弥山をひかえ、前面に瀬戸内海を臨む現在の地に創建されたと伝えられている。それから約600年後の1168年には、当時、絶大な権力を誇っていた武将、平清盛(たいら の きよもり。1118〜1181年)が、平安時代(8世紀末〜12世紀末)の典型的な貴族の邸宅の建築様式である「寝殿造(しんでんづくり)」**を取り入れた壮麗な社殿群へと修造した。その後、嚴島神社は建て替えや新たな建物の造営を繰り返しながらも、寝殿造の様式を残したまま現在に至っている。このように寝殿造であり、かつ、海岸線近くから海上にかけて建てられているという点で、嚴島神社は日本で比類のない神社だ。それゆえに、神社の中心的な建物である「御本社(ごほんしゃ)」や、全長約260メートルの「東廻廊」と「西廻廊」などの建物が国宝に指定されている。

御本社につながる廻廊の一つ

嚴島神社は、海の上にまで社殿が建てられており干潮時に海底が現れる時は、社殿を支える土台も現れる。一方、満潮時には海面が社殿の床近くまで上がり、まさしく海上に浮かんでいるように見える。一方で、海上にあるがゆえに社殿は高波、高潮といった自然災害の被害を受けやすい。そのため、被害を軽減する工夫も施されている。例えば、廻廊の床板の板と板との間には、下から上がってくる海水が溢(あふ)れ出すように隙間があり、床にかかる水圧を弱める働きをしている。

大鳥居を臨む、桜に囲まれた嚴島神社の多宝塔(右)(2023年3月現在、多宝塔は、屋根の葺き替え工事用の足場で囲まれている。)

また、嚴島神社の神域にある貴重な建物類は、これからもその姿を保っていけるように、保存修復が絶え間なく行われている。御本社からは約160メートル離れた海上に建つ「大鳥居(おおとりい)」も、2022年12月に約3年半をかけた修理が終了したばかりである。大鳥居は高さ16メートル、棟の長さ24メートルの日本国内でも有数の大きさを誇る木造鳥居だ。現在の鳥居は1875年に再建されたもので、9代目にあたる。干潮時には間近まで歩いて近づくことができる。

嚴島神社の鳥居や社殿の朱色、山の緑、海の青が調和した宮島の美しい景色は、これからも末長く受け継がれていくだろう。

* 広島駅からフェリー乗り場付近の宮島口まではJR山陽本線で約30分、広島市中心街を通る路面電車を使うと約75分である。
** 寝殿造は主に、南側が庭に面した中心的な建物の「寝殿」、そして、寝殿の東西側と北側に建つ付属的な建物「対屋(たいのや)」で構成される。