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January 2023

「富士山写真家」の先駆者

  • 「湖畔の春」(1935年)
  • ドテラを着て手ぬぐいで頰かむりをする岡田紅陽とカメラ、三脚
  • 富士山と忍野村(1930年)
  • 雪の日の朝の富士山(1954年)
  • 富士山と国会議事堂(1949年)
「湖畔の春」(1935年)

岡田紅陽(おかだ こうよう。1895~1972年)は、富士山の撮影に生涯を捧げ、「富士山写真」というジャンルを確立した写真家として知られている。彼の写真は、日本の紙幣や切手に使用され、日本人にとっての富士山の象徴的なイメージとなった。

ドテラを着て手ぬぐいで頰かむりをする岡田紅陽とカメラ、三脚

日本の現行の1000円札の裏面には、桜越しの富士山と富士山が映る湖の絵柄が描かれている。富士山周囲の湖で見られる湖面に映る富士山は「逆さ富士」と呼ばれ、古くから日本人に愛されてきた風景だ。この1000円札の絵は、山梨県の富士五湖の一つである本栖湖(もとすこ。参照)で岡田紅陽(本名:岡田賢治郎)によって撮影された写真「湖畔の春」が元となっている。岡田は、富士山を主な撮影対象とする「富士山写真家」の先駆者として知られている。

富士山と忍野村(1930年)

富士山からは遠く離れた新潟県に生まれた岡田は、21歳の時に富士山麓の山梨県忍野村(おしのむら)を訪れ、そこから見た富士山に魅了され、以来生涯をかけて富士山を撮り続けた。撮影のため登った冬の富士山で、滑落しそうになり、九死に一生を得たこともあったという。晩年は忍野村に別荘を構えた。没後30年余り経った2004年に、その近くに「岡田紅陽写真美術館」が開館した。同美術館学芸員の垣中絵美子(かきなか えみこ)さんは、「岡田が撮った富士山写真は38万点から40万点と言われています。そのうち、1000円札に使われた写真に加え、23点が日本の切手に使用され、今では多くの日本人が思い描く富士山の象徴的なイメージとして定着しました。特に忍野村の茅葺き屋根の農家の家越しに見える富士山の写真は、日本人にとっては懐かしい『ふるさと』と感じられる風景です」と言う。

雪の日の朝の富士山(1954年)

岡田は、富士山を「富士子さん」と呼び、美しいけれど気まぐれな「気難しい恋人」と表現した。岡田は、どんなに長い年月撮り続けても思い描く富士山は撮れていない、と撮影を止めなかった。「富士子さんに会ってくる」と言って、ドテラを着て、手ぬぐいで頰かむりをして撮影に出かけていく岡田の姿を記憶する村人もいるという。

岡田は、戦後日本で連合国最高司令官を務めたダグラス・マッカーサー元帥や、人類で初めて月面着陸したアポロ11号の3人の宇宙飛行士に、自身が撮影した富士山写真を寄贈し、また、アメリカ・メリーランド州にあるボルチモア美術館で、日本人写真家とで作品展を開催するなど、富士山写真の海外への紹介に務めた。

富士山と国会議事堂(1949年)

岡田が「湖畔の春」を撮影した本栖湖の北西湖岸には、現在、展望デッキが設置されている。今も、たくさんの人たちが、岡田がかつて撮影した現場からの景色をカメラに収め続けている。