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July 2022

ピースメッセージとうろう流し

  • 平和へのメッセージを運ぶ灯ろう
  • 灯ろうを川に流そうと運ぶ人々
  • 灯ろうに火をつけるボランティアの若者
  • 広島市のユネスコ世界遺産「原爆ドーム」のたもとを流れる元安川に浮かぶ灯ろう
平和へのメッセージを運ぶ灯ろう

毎年8月6日の夕刻、広島県広島市で『ピースメッセージとうろう流し』が開催される。人々が平和を祈るためにそこに集い、思い思いのメッセージが書きこまれた灯ろうを川へと流す。

灯ろうを川に流そうと運ぶ人々

毎年8月6日の夕刻、広島市の平和記念公園内にあるユネスコ世界遺産「原爆ドーム」(囲み記事参照)のたもとを流れる元安川(もとやすがわ)に、何千個もの灯ろう(とうろう)が川面に浮かべられる。木枠に紙を貼った箱型の灯ろうの中には、火がともされている。これは、「ピースメッセージとうろう流し」と呼ばれる広島の夏の風物詩。ゆったりと流れる灯ろうは、それぞれの灯りが揺れて幻想的な光景となる。主催者は、広島市中央部商店街振興組合連合会であるが、同連合会の管理のもと、灯ろう作りから、灯ろうの販売、とうろう流しのセッティング、まで、一切は、広島市民の、主にボランティアによって運営されている。

同連合会の専務理事、若狭利康(わかさ としやす)さんは「1945年8月6日は、広島に原爆が投下された日。当時はこの川で大勢の人々が亡くなりました。広島市のとうろう流しは、戦後、その遺族が供養のために始められました。だから灯ろうの“灯り”一つ一つが、亡くなられた方たちの命の“ともしび”なのです」と語る。

日本には、古くから先祖の魂を家に迎えまたあの世へ送り返す「お盆」の風習が夏にある。このとき、魂を乗せる船を仕立てて送り流す「精霊流し(しょうろうながし)」が行われる地方もある。広島県西部の安芸(あき)地方では、お盆の期間、墓に色とりどりの灯ろうを飾る。広島市のとうろう流しは、この二つの風習が合わされたものと言われている。

灯ろうに火をつけるボランティアの若者

「もともと、とうろう流しは供養と慰霊のためのものでしたが、現在では、海外からも多くの人が訪れて、世界の恒久平和を願う“ピースメッセージ”の意味合いが強くなったのです」と若狭さんは言う。

とうろう流しの前に行われる「流灯式」では、福岡県星野村に安置されている「原爆の残り火」*から採火された種火によって点火される。

原爆ドーム対岸の親水テラスから、参加者が元安川に直流すこともできる。**

2015年からは、若者たちが中心となって「オンラインとうろう流し」も行われてきた。コロナ感染症の影響で2020~21年は実際のとうろう流しは中止となったが、オンラインでは世界中から寄せられたメッセージをインターネットの仮想空間の川に灯ろうとして流しており、2021年の8月6日には広島市内の各所のデジタルサイネージ(電子看板)に投影した。

一人ひとりの想いのこもった灯ろうは小さく儚(はかな)い。しかし、そこに込められた平和への希求は、幾千もの願いとなって、これからも永く元安川に灯(ともしび)の流れをつくっていくだろう。

* 原爆の残火は、福岡県八女市星野村出身の故・山本達雄さんが、叔父を探すために広島を訪れた際、くすぶる火を懐炉(かいろ)に点けて、叔父の形見として持ち帰ったもの。現在も、残火は星野村の「平和の塔」で燃え続けている。
** 2022年はコロナ感染対策のため、親水テラスからの「手流し」は実施されない。主催者がメッセージを預かって流す「委託流灯」のみとなる



原爆ドーム

広島市のユネスコ世界遺産「原爆ドーム」のたもとを流れる元安川に浮かぶ灯ろう

原爆ドームのもとの建物は、1915年に完成した広島県物産陳列館。1945年8月6日、爆心地から約160メートルという至近距離で被曝した建物は全焼し、そのほとんどが崩れ落ちた。崩れ落ちずに残った建物の上に載った楕円形のドームから、建物は「原爆ドーム」と市民から呼ばれるようになった。平和記念公園は1955年、世界の恒久平和を願って建設された。園内には原爆ドーム、広島平和記念資料館、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館などの施設がある。