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  • 京都市の鴨川をのぞむ納涼床を設けたレストランや茶屋の夕景
  • 鴨川から東山をのぞむ納涼床
  • 伝統的な京料理、京懐石の一例

August 2021

京都の夏の風物詩「納涼床」

京都市の鴨川をのぞむ納涼床を設けたレストランや茶屋の夕景

京都、鴨川の風とその流れを感じつつ、涼みながら食事やお茶をいただく―。京都人のみならず、訪れた人に癒やしのひと時を提供する夏向けの伝統文化を紹介する。

鴨川から東山をのぞむ納涼床

京都市内を流れる鴨川の岸辺沿いに並ぶ「納涼床(のうりょうゆか)」は夏を彩る風物詩として知られる。

納涼床は、料理店や茶屋が、川を見渡せる座敷の付いた木製デッキを夏に設置して、外で客が食事やお茶を楽しみながら、涼んでいただくためのものである。

京都鴨川納涼床協同組合の田中博代表理事は、納涼床について次のように話す。

「京都も、いろいろな場所が今風になってきてますが、鴨川沿いは昔の京都とあまり変わらない景色が残る場所と思います。川を見下ろすように高く、木で組み立てたお席の床(ゆか)では、食事をしながら自然の風に吹かれ、川の流れを聴き、三十六峰と言われます緑濃い東山の峰々を眺められます。こうした、山紫水明と表現される京都の自然を感じられるということが、床の一つの醍醐味だと思います」

鴨川には、かつて大きな中州があった。中洲は、祇園祭*で多くの人が集まる八坂神社の近くにあったことから、芝居小屋や茶屋**が立ち並ぶようになった。16世紀末になると、河原に茶屋や商人が客のために床机を出すようになり、これが納涼床の始まりになったと言われる。17世紀後半、鴨川の氾濫を防ぐために、川底の砂が掘られ、中洲は取り除かれた。そして、現在、納涼床があるあたりの川岸に護岸が築かれた。やがて、その護岸に高床形式の納涼床が立ち、夏に川岸や浅瀬には床机が並ぶようになった。その様子は、京都の名所を紹介した「都名所図会」を始め、様々な浮世絵にも描かれ、京都の夏を彩る風物詩として全国に紹介された。しかし、明治時代以降、治水工事により、川岸や浅瀬での床机形式の納涼床が禁止された。また、鴨川東岸は運河や鉄道の建設で納涼床が設置できなくなった。こうした結果、二条通りから五条通り付近の鴨川西岸だけに、高床式の納涼床が立ち並ぶこととなった。

現在、納涼床は伝統的な京懐石を供する日本料理店に限らず、バーやイタリアン、フレンチ、中華、タイ、韓国料理など、様々な店が軒を連ねるようになった。2006年には、コーヒーを主に提供するスターバックスも納涼床のスペースを設けた。

時代とともに変化する納涼床だが、「京都の伝統」への尊敬の念は厚い。

伝統的な京料理、京懐石の一例

「景観保護のため、規則があります」と田中理事長は話す。「例えば、床の高さを揃える、できるだけ和風のデザインにする、店と店との仕切りには『すだれ』を用いるなどです。伝統的な文化にはルールがあり、それを守るからこそ楽しめる場というのがあると思います。納涼床もそのひとつですね。最近はランチ営業する店も増えてきていることもあり、営業期間も、例年は5月から9月末日までだったところを、今年は1か月伸ばして10月末日まで延長します。伝統を守りながらも、現代にそぐわないところは、今に合わせていく。もちろん、新型コロナウイルス感染症対策についても、保健所などの指導を踏まえて最大限の対策を講じています。そして、京都を代表する風物詩としての納涼床を、年代に限らず多くの人に楽しんでもらえるように維持していきたいと思います」

伝統も踏襲しながらも、時代に合わせていく柔軟さ。17世紀から続く納涼床が、国籍や年代を問わず多くの人々が「涼」を求めて訪れる理由がそこにある。

* 日本三大祭のひとつ。京都で毎年7月に行われる祇園・八坂神社の祭礼で、869年に疫病が流行していたため、神に疫病を鎮めてもらおうとしたのが始まりである。
** 「茶屋」は、お客さんをもてなす、ささやかな宴会場。本格的な料理はつくっておらず、基本的に料理は仕出し屋(出張料理専門の店)から持って来てもらう。