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September 2020

日本の舞台を彩る幕「緞帳」

歌舞伎座の緞帳

舞台と客席を仕切る大きな幕は日本では「緞帳」と呼ばれ、緻密な絵柄を織り上げられている。非常に高度な織りの伝統技術で作られる緞帳は、それ自体が芸術作品と言える。

緞帳を織る織機

舞台装置の一つである「幕」。その中で、日本独自に発展したものが緞帳である。舞台の大きさに合わせた大判の一枚の幕が劇の始まりに上がり、終わりには下がるもので、その歴史は江戸時代(1603~1867)に遡る。

幕府公認の歌舞伎の舞台では左右に開閉する引き幕が使われていたが、それ以外の芝居では引き幕の使用が許されなかった。そのため、芝居小屋などでは、上下に開閉する簡素な幕が使われていた。現在のような緞帳が舞台に初めて設置されたのは、1879年にオープンした東京の新富座であった。同年に来日し、同劇場で観劇したアメリカのグラント元大統領から贈られた幕を、翌年、緞帳様に仕立てた。

その後、第二次大戦後の復興期に劇場やホールが多数建築されたことで、緞帳の需要も高まり、建物ごとにオリジナルの緞帳が作られていくようになった。

京都で織物業を営んでいた川島織物(現・川島織物セルコン)が緞帳を初めて作ったのは、1893年のことである。1951年には日本の抽象画のパイオニアである吉原治良が描いた絵を元に、日本で最初の綴織*(つづれおり)緞帳を製作した。織り方は、経(たて)糸を強く張ったのち、5~6本の糸を撚って作った色糸を緯(よこ)糸として糸管に巻き、下絵に従って、ひと織ずつ、専門の道具(杼(ひ))に通しながら、指先でかき寄せ、櫛状の織詰め具(筋立(すじたて))で軽く寄せながら織っていくが、熟練した技を要する。現在もその高い技術は受け継がれ、歌舞伎座、国立劇場など日本国内でも格式が高いと言われる場所に設置され、多くの来客の目を楽しませている。

緞帳を織る織り手

緞帳の製作に長年携わってきた同社の生産部美術工芸生産グループリーダーである嶌嵜貢(しまざき みつぐ)さんは、「綴織は殆どの絵画や図柄が精密に表現できる」と断言する。「綴織は色使いも際限なく、繊細な色のグラデーションも難なく表現することができるのです。ただ、織物は文様の細かさで優劣が決まるものではありません。織物か絵画かわからない程、繊細な表現をする技がある一方、目が粗い織物には力強さがあります。どちらも織物の味でありそれぞれに良さがあるのです」

絵画を原画として使用する場合は、デザインの打ち合わせに最も時間を費やす。まず1/20サイズでデザイン画を作り、決定したら糸の種類や織の検討をするために緞帳の一部を切り取った1平方メートルの試作品を作成。その後、原寸大の全体の下絵を作って配色を指定し、織の設計図が完成する。舞台のサイズに合わせて作られる緞帳は数十メートルの幅があるため、巨大サイズの織機の下にその設計図を設置して、複数の織り手が横に並び共同で緞帳を織っていく。もちろん使われる糸も太い。綴織の緞帳は平均すると1平方メートルで4キログラム程度あり、200平方メートルサイズになれば1枚であっても約1トン近くの重さになる。それだけに緞帳製作に携わるのと、着物の帯を担当するのとでは織り手の身体の疲労度が違うという。織り手から『緞帳を作り出したら指が太くなった』と言われることもあるという。それだけハードな仕事だが、芸術作品のような緞帳の製作に関われることを幸せに思うと言う織り手も多い。

近年は「プロジェクションマッピングを投影できる緞帳が欲しい」など、緞帳への要望も変化してきているという。現実と非現実世界との境界を定める緞帳には、来場者の目を楽しませるという役割もある。時代の移り変わりとともに、緞帳もまだまだ進化していくのかもしれない。

* 綴織は、織り手が指先を使って精密なデザインを、文字を綴るかのように、織り上げる。