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  • シーパルピア女川
  • 旧女川交番
  • 坂茂氏設計による女川駅舎。駅舎内に温泉温浴施設「女川温泉ゆぽっぽ」を併設。
  • 震災直後の女川町中心部

May 2020

津波災害からの復興と新しいまちづくり

シーパルピア女川

宮城県女川町は、2011年3月の東日本大震災の津波によって大きな被害を受けたが、中心市街地をコンパクトに再生することによって、町の安全とにぎわいを取り戻している。

小さな入江や湾が複雑に入り組んだ東北地方の太平洋沿岸に宮城県女川町がある。世界的な漁場の一つである金華山沖を間近に控えた女川町は、年間を通じて様々な魚介類が豊富に水揚げされることから、漁業と水産加工業を中心とする港町として発展してきた。しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災によって町は壊滅的な被害を受けた。最大約15メートルの高さの津波が町を襲い、人口約1万人のうち、死者・行方不明者は827名に達し、海岸沿いにあった建物のほとんどが破壊された。

女川町は震災から約半年後に復興計画を決定、「減災」を基本理念にした「新しい港町づくり」を始めた。震災前、山に囲まれた海岸沿いの限られた平地で多くの住民が生活をしていたが、住民が安全に暮らせる町へと復興するために、町は山を削って住宅地を造成した。そして、削り出した土で平地をかさ上げし、女川駅の周辺に教育、医療、交通、商業、行政の拠点を集約し、コンパクトな中心市街地を再建した。住宅地から中心市街地へと人の流れを集約化し、人口減少が進む中でも持続的ににぎわいを創り出せる町に再生するためである。

震災から4年後の2015年3月にはJR女川駅が再開された。ウミネコが羽ばたく姿をイメージした白い屋根が特徴の新しい駅舎は、世界的建築家の坂茂氏が設計を担当した。駅舎には温泉温浴施設「女川温泉ゆぽっぽ」が併設され、浴場の壁には、著名な日本画家の千住博氏による美しいタイル画が飾られている。また、3階の展望デッキからは、女川町の街並みと女川湾を一望することができるなど、女川駅は町の玄関口として新たなスタートを切った。

坂茂氏設計による女川駅舎。駅舎内に温泉温浴施設「女川温泉ゆぽっぽ」を併設。

さらに2015年12月に、女川駅と女川港とを結ぶレンガの遊歩道に沿って、「海が見える公園のまち」をコンセプトとする商業施設、「シーパルピア女川」が開業し、2016年12月には、鮮魚や水産加工品を中心とした特産品を扱う観光物産施設「地元市場ハマテラス」が開業した。両施設は、山と海に囲まれた景観を楽しみながら町内外の人が集える場所であるとともに、レンガみちが災害時に高台へと向かう避難路にもなるように設計されている。

「両施設には、震災後の事業再開のほか、町内外から創業する新たな事業者等が飲食、土産もの、日用品など、約35店舗が出店しています。そのお陰で震災前を上回るにぎわいが生まれています」と女川町職員の土井英貴さんは言う。

旧女川交番

2013年2月から女川中学校の生徒が中心となって、「1000年後の命を守る」を合言葉に始まった「女川いのちの石碑」プロジェクトによって、町内21か所の全ての浜に震災の教訓を記した石碑の建立が進められ、現在までに20基が建てられている。

2020年2月には、「東日本大震災遺構 旧女川交番」が完工式を迎えた。鉄筋コンクリート造りの建物が津波で転倒した事例は日本で初めてであり、世界的に見てもまれである。女川町は、東日本大震災の記憶と教訓、そして、絶望から立ち上がった人々の復興の歩みを後世へと引き継ぎ、未来に生きる人々が同じ悲しみや苦しみを味わうことの無いことを願い、この「旧女川交番」を震災遺構として保存した。

東日本大震災から9年が経過し、水産関係施設、商業施設、役場庁舎、生涯学習センター、図書室など、新しい施設や街並みが整いつつある中で、女川町の人々は心を一つに、未来へ向けて今後も力強く歩みを進めていく。

震災直後の女川町中心部

(2019年5月号掲載記事を再編集)