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Highlighting JAPAN

新年の祈り

新年、日本各地の社寺は、今も昔も変わらず、新しい1年の幸せを祈る「初詣」の人々でにぎわう。

「初詣」は、年の初めに社寺を訪れ、家内安全、学業成就、商売繁盛などの願い事をすることである。正月休みに故郷へ帰省し、地元の社寺に家族と共に参拝する人も多く、普段は静かな社寺も、1月1日から3日までの「三が日」には大勢の初詣客でにぎわう。参拝者は、「絵馬」と呼ばれる木の板に願い事を書いて社寺に奉納したり、魔除けの飾りである「破魔矢」や、「お守り」を受けたり、吉凶を占う「おみくじ」を引いたりする。多くの人と新しい年を迎えた喜びを分かち合うとともに、新しい1年を幸福に過ごせるよう思い思いに祈るのである。

今では日本の新年のなじみの行事となっているが、初詣が一般化したのは明治時代になってからのことである。それまでは、自分が住んでいる場所から見て、その年に吉とされる「恵方」と呼ばれる方角にある近所の社寺に参拝する「恵方参り」が一般的だった。

これを大きく変えたのが鉄道であると言われている。1872年に新橋と横浜を結ぶ日本初の鉄道が開通し、古くから信仰を集めてきた川崎大師のそばに駅ができると、恵方に関係なく、多くの人々が鉄道を利用して新年に訪れるようになった。鉄道網が全国に広がると、近所の社寺だけでなく、各地の有名な社寺へ参拝する人々も増え、今日の初詣の姿となった。

そのような代表例の一つが、千葉県成田市の成田山新勝寺(以下、成田山)である。940年に開山した成田山は、弘法大師空海(774-835)が開いた真言宗の仏教寺院で「不動明王」が本尊にまつられている。成田山が人々に広く知られるようになったのは、江戸時代のことである。成田山の不動明王を深く信仰していた歌舞伎役者の初代・市川團十郎が、不動明王を主題にした歌舞伎を演じ、人々から絶大な人気を得たことがきっかけであった。

当時、江戸(現在の東京)から成田山へのお参りは、徒歩で3泊4日かかっていたが、1897年に東京と成田を結ぶ鉄道が開通すると、日帰りでの参拝が可能となった。鉄道会社も初詣用の臨時列車を出すなどキャンペーンに務めた結果、東京から成田山に初詣で訪れる人が一気に増加した。近年、成田山の三が日の参拝者は300万人を超え、東京の明治神宮と並び、日本で最も多くの参拝者を集める社寺の一つとなっている。成田国際空港の近くにあることから、外国人の参拝者も多い。

年末が近づくと、成田山は初詣の参拝者を迎える準備で大忙しとなる。11月から市内の田んぼから刈り取ったわらを編み込んで、長さ6.6メートル、重さ200キロを超える「大しめ縄」を作り始める。大しめ縄は江戸元禄の頃に五穀豊穣を祈願して作ったのが始まりと言われ、12月下旬、成田山の中心的な建物である「大本堂」の正面に飾り付けられる。また、12月13日には、僧侶や職員が不動明王像を馬毛の刷子(ブラシ)で拭いたり、長い笹竹を使って大本堂のすすを払ったりする「すす払い」と呼ばれる大掃除が行われる。

こうした準備を経て、成田山は12月31日の大晦日を迎える。この日は特別に、東京と成田を結ぶ鉄道が夜中も運行され、参拝者を運ぶ。

「大晦日の真夜中には、たくさんの方々が集まっています。日が明けると、更に多くの方が参拝に来られ、境内はびっしり人で埋まり、参道にも長い列が延びます」と成田山の企画課・中峰照希さんは話す。

日本の寺院では大晦日の夜に、108あると言われる人間の煩悩をはらうために「除夜の鐘」を108回つくが、成田山では元日の午前零時から鐘をつく。その音が鳴り響く中、大本堂では「元朝大護摩供」が執り行われる。成田山では、本尊の不動明王の前で「護摩木」と呼ばれる特別な薪をたき、僧侶が祈りを捧げる「護摩祈祷」を1000年以上続けており、「元朝大護摩供」は新年の最初に行われる護摩祈祷である。参拝者は、赤く炎がゆらゆらと燃え上がる炎の前で、僧侶の読経に包まれて祈願し、厳かな気持ちで新年を迎える。

時代とともに、新年の祈りは「恵方参り」から「初詣」へと変わるが、人々の願いは今も昔も変わらない。