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Highlighting JAPAN

 

 

日本の夏を彩る打ち上げ花火

花火はなぜ日本の夏の風物詩になったのか、その由来と、海外でも芸術的と高い評価を受ける技術、花火大会の楽しみ方を紹介する。

日本の夏に欠かせない花火が国内に浸透したのは、1733年の「享保の大飢饉」「伝染病の発生」がきっかけと言われている。当時の将軍・徳川吉宗が鎮魂と悪霊退治を目的として、隅田川の川開き(納涼の季節の開始を祝うとともに、水難者の供養や水難防止祈願をも兼ねた行事)日に行われた「水神祭」(飲料水や水稲耕作に必要な水をつかさどる水神の霊を鎮めるまつり)で、大々的に花火が打ち上げられた。最初は弔いの意を込めて打ち上げられていたが、以降「納涼」「奉納」「競技」など主旨を変え、花火を楽しむ庶民の様が浮世絵でも多く描かれているように、「日本の風物詩」へと発展していった。

花火の材料である「火薬」が発明されたのは秦の時代まで遡る。BC200年頃、硝石が偶然発見され、1100年頃、それらに硫黄と木炭を掛け合わせることによって「黒色火薬」が生まれた。火薬はやがてシルクロードを渡ってヨーロッパに伝わった。日本には、1543年、種子島に漂流したポルトガル人によって「火縄銃」がもたらされ、そこから火薬文化が広がった。

「火薬は、戦国時代に武器として伝来しましたが、江戸時代になって、鎖国政策とともに何百年間も平和な時代が続き、海外列国が鉄砲や大砲に利用していた火薬知識の大半を、日本では花火に注ぎ込んだため、技術が劇的に向上しました。いわば花火は平和の象徴です」と花火写真家であり、花火史や民俗文化にも詳しい冴木一馬さんは話す。

日本の花火は「芸術品」として世界中でも高い評価を得ている。その理由は、まず空中でパッと開く時に綺麗な真円になることが挙げられ、大きいものは直径数百メートルにも及ぶ。また、海外の花火は基本的に単色が多いが、日本の花火は青から赤、赤から黄色と、『星』と呼ばれる火薬が何色にも変化し、芯の回りを何重もの丸が囲んでいく。他にも、花火が開くまでに音を鳴らすため玉に笛を付けるなど、随所にきめ細やかな工夫がなされている。海外の花火がほぼ機械で生産されているのに対し、日本は未だ手作りが主流なのも繊細さを大事にしているからである。

日本の花火を楽しむポイントとして、冴木さんは「花火の種類を覚えることです」とアドバイスする。最も一般的な種類は、花火が開いた後に尾を引いて色が変わっていく「菊」と、尾を引かずに中心から外側までが全部同じ色となる「牡丹」の二つで、これらの違いを判別できるようになるだけでも鑑賞に対する集中度が変わってくると言う。

花火の4原色は、青・赤(紅)・黄・緑であるが、最近ではパステルカラーやオレンジなどの色も開発されつつある。ただし、新しい色を一つ作るにも並大抵ではない努力を要するという。試したことのない材料を掛け合わせる作業も伴うので命に関わる危険もある。そのためエメラルドグリーンをつくった花火屋はその色を出すのに20年近くの年月をかけた。
「できればスマホで花火を撮影することばかりに執着せず、自分の目に焼き付けながら、職人の苦労も知ってもらいたいです」と冴木さんは語る。

鑑賞場所として最適なのは、打ち上げの筒から300〜400メートル離れた風上とされている。首が疲れない60度の姿勢を保つことができ、視界が煙に覆われないからである。しかし、メジャーな花火大会では、会場が混雑するため、理想の位置を確保するのは難しい。「日本は一年で約8500回花火を打ち上げているので、混雑を避けて鑑賞できる小さな花火大会は探せばいっぱいあります」と冴木さんは付け加える。“穴場”を探し、職人芸の極みを一発一発じっくりと堪能すれば、日本の夏をより深く感じることができるだろう。