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Highlighting JAPAN

友好としゃぶしゃぶ

シンプルだが贅沢なしゃぶしゃぶは、みんなで楽しめる究極の食事である。

鉄鍋の中で賑やかに沸く上品な香りと味わい豊かな昆布出汁に、様々な野菜と紙のように薄く切った牛肉をくぐらせる。木製の箸で挟んだ肉を出汁の中で「しゃぶしゃぶ」と素早く前後に動かす。シンプルで美味しいこの鍋料理の名前は、その日本語の擬音語に由来する。

「しゃぶしゃぶ」は、和食の中でも最も人気のある料理の一つである。一般的に英語で「しゃぶしゃぶ」は「Japanese hot-pot」と訳されるが、これは「寿司」を「raw fish」 と呼ぶのと同様にかなり違和感がある。

しゃぶしゃぶの人気は、主な材料、また「しゃぶしゃぶ」文化の重要な要素に起因する。

しゃぶしゃぶの具材は牛リブロース肉と春雨、豆腐、長ネギや白菜などの野菜で、昆布と水だけで取られた出汁もそうだが、実にシンプルである。

しゃぶしゃぶの主役は、つけダレと言ってよいだろう。タレは、すりゴマと、店ごとに異なるその他の様々な材料を混ぜ合わせて丹念に作られている。

「秘密は間違いなくタレにあります」と、しゃぶしゃぶ発祥の店として広く知られる大阪にある株式会社永楽町スエヒロ本店の三宅一郎代表取締役は話す。

「ゴマは油分が多く、すぐに酸化するため、ゴマダレの香りと風味はあっという間に落ちてしまいます。そのため、当店では毎日新しいタレを作ります。全てのゴマをするだけで10時間かかります」と三宅さんは説明する。タレには、その他伝統的に米酢と醤油が加えられているので、しゃぶしゃぶは健康的な料理と知られる。

しゃぶしゃぶは、比較的最近の和食である。ルーツは、シャオウェイヤンと呼ばれる内モンゴルの鍋料理にある。20世紀初め、京都の十二段家という店がこの鍋料理を取り入れ、主な具材として羊肉の代わりに魚を使用した。

この料理は水炊きと呼ばれ、大阪、京都、奈良、神戸を含む関西地方における鍋文化の始まりとなった。

しゃぶしゃぶもまた鍋料理のブームから誕生した。当時スエヒロは人気のステーキハウスだったが、三宅さんの祖父はメニューの要だった高級牛肉を鍋料理に活用する画期的な方法を思い付いたのである。

「既に祖父は、野菜と薄切りにした松坂牛、ゴマダレを組み合わせた水炊きというコンセプトを持っていましたが、その名前が思い付きませんでした」と、三宅さんは話す。

「ある日、祖父は従業員がたらいでおしぼりを洗う姿を見て、牛肉を出汁にくぐらせる様子を連想しました。そして、彼はその音に衝撃を受けたのです。私達大阪人は擬音語を好みます。祖父には、その音が『しゃぶしゃぶ』と聞こえました」

その後、三宅さんの祖父は料理の名前を従業員に説明した時、信じられないような目で見られたり、あからさまに笑われたりしたという。

しかし、割と短期間のうちに、しゃぶしゃぶに興味を示した客が、店の入り口から長い列をなすようになった。スエヒロは1910年に創業され、大阪駅近くに店を構える。熱烈なファンには、日本人版画家の棟方志功(1903- 1975年)もいた。

「風変わりな名前を持った新しい料理に関する噂はすぐに広まりました」と三宅さんは話す。しゃぶしゃぶが初めてスエヒロのメニューに載ったのは、棟方志功がスイスの国際版画展で優秀賞を受賞したのと同じ、1952年のことだった。

日本の鍋文化全体にも共通する特徴だが、特にしゃぶしゃぶの人気は、伝統的に一つの鍋で調理した料理を、友人や職場の仲間あるいは家族など、人々が集まり分け合うという点にある。

食事が進むにつれ、具材の風味と煮詰まった出汁が混ざり合い、より濃厚で辛味のある出汁になり、それとともに集まった人々の仲も深まる。

「店であれ自宅であれ、昔からこれが日本の鍋文化の特徴でした」と三宅さんは語る。薄切りにしやすいように冷やした牛肉は、しゃぶしゃぶする前に柔らかくなるまで待っておく必要があり、その時間が飲みながら話をする貴重な時間になるという。「鍋文化は、友好と理解を深める機会であり、重要な役割を担っているのです」