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Highlighting JAPAN

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国際協力60周年

大津波から首都を守った日本の防波堤(仮訳)






スリランカ南西のインド洋に浮かぶモルディブ共和国は、約1,200のサンゴ礁の島々からなる人口30万人ほどの小さな熱帯島嶼国。一般住民が居住する有人島はそのうち約200、外国人向けの観光リゾートは87島で、残りはすべて無人島である。

それぞれの島は環状のサンゴ礁が集まったものからできており、最高海抜ですら2.4メートルと平坦な地形であるため、地球温暖化による海面上昇の影響をもっとも受けやすいと想定されている国の一つでもある。もし海抜が1メートル上がれば、その国土の80%が失われるという。

常に水害の危険にさらされるモルディブを、異常な高潮が襲ったのは1987年のことだ。首都マレ島は浸水し、首都の麻痺で約600万米ドルといわれる被害を出した。排水の不十分さから浸水は長期化し、伝染病も蔓延した。

この災害への緊急援助を契機に、日本政府はモルディブ政府の要請を受け、1987年から2002年までの15年間をかけて首都マレ島の全周約6キロに渡る護岸工事を実施した。日本の建設会社による技術協力のもと、テトラポットの護岸が作られ、その材料となる砂やセメントは低コスト化を図るため可能な限り現地調達しながら進められた。このプロジェクトが終了した数年後、不幸な災害がこの地を襲う。2004年のスマトラ島沖地震のマグニチュード9.3の衝撃は、平均10メートル、最大34メートルに及ぶ大津波を呼び、インド洋の島々を飲み込んだ。だが、マレ島では島をぐるりと囲んだ防波堤が首都を津波から守り、一人の死者も出さずに済んだのだ。

さらにこの後、日本政府は津波被害の復興支援策として2005年には無償資金協力を、2006年には港湾・下水道整備に対する27.33億円の円借款を供与した。この護岸工事に対して、モルディブ政府から日本国民に対し「グリーン・リーフ」モルディブ環境賞が授与された。日本のODAへの感謝の気持ちが普及したモルディブでは、国民の8割以上が日本のODAを認識していると報告されている。

80年代からのODA供与を通して築かれた、日本とモルディブとの信頼関係は、思わぬところで日本へと還って来た。2011年、東日本大震災で日本が被災した際には、モルディブでは官民挙げての募金・支援キャンペーンが行われ、約4,600万円相当の義捐金が集められた。さらに、観光以外の貴重な外貨獲得手段であるツナ缶約69万個が提供され、日本の被災地に届けられたのだ。

奇しくも津波からの力強い復興という絆で繋がった両国間では、以後も市民ベースで交流が続く。青年海外協力隊やシニアボランティア、NPOやNGOからのボランティアが派遣され、現地の住民と一緒に津波で家屋が倒壊されて発生した瓦礫をリサイクルして再生ブロックを作り、津波被害を記憶に留め避難の際の目印にもなるモニュメントを作るなど、防災教育や技術協力などの分野で活躍している。

JICAの太田宇氏は、「耐震・免震技術や、土砂災害対策、気象予報システムなど、災害大国である日本の防災対策は、国際的にも高い評価を得ています」と語る。「日本は災害の経験を通じて培った知見を積極的に世界と共有するという国際貢献ができる。それは災害対策によって日本が発見した、自分たちの強みでもあるのかもしれません」。

2015年3月には、第3回国連防災世界会議が、モルディブと同様に東日本大震災で津波の被害を受け、見事復興を遂げた仙台で開催される。日本の防災技術を海外へ普及させる取り組みを加速する好機となるだろう。



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