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Highlighting JAPAN

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国際協力60周年

日本の母子手帳を世界へ(仮訳)




日本人にとってはあることが当たり前の存在といえる母子手帳。1948年、戦後の日本において子供たちを守るため、当時の厚生省(現在の厚生労働省)によって初めて発行された。1992年から、JICAの母子保健プロジェクトの一環として、このハンドブックをインドネシアやパレスチナ、ベトナムなど世界中に広める取り組みが行われている。母子手帳の普及支援活動について豊富な経験と知識で貢献する特定非営利活動法人HANDSの篠原都氏にお話をお伺いした。

「妊娠、出産、子育てに関しての記録ツールが存在する国は世界中にありますが、日本の母子手帳のように母親の妊娠、出産、さらにその後の子育てに至る長い期間の継続的な情報が一冊の本にまとまっているスタイルはあまり見かけません」と篠原氏は話す。

HANDS代表の中村安秀氏が、JICAの母子保健専門家として赴任していたインドネシアの北スマトラで、簡易版の母子手帳を作ったのは20年以上前のこと。それから10年ほど経ってから、研修のために来日していたインドネシア人医師から「母子手帳をインドネシアで広めるプロジェクトを始めたい」とアプローチがあり、日本式の一冊にまとまった母子手帳がインドネシアでも作られるようになった。

「母子手帳を普及させようとする場合、いくつかとても大切なことがあると私たちは経験から実感しています。一つめは現地の人々が主体となって進めること。私たちはきっかけを作り、途中まで手伝いながら見守るだけで、あとは各国が自力で進めたほうが、このプロジェクトはうまくいきます」と篠原氏はいう。同じ国の中ですら民族や言語が違い、出産に関する文化も異なるケースは多く、それらを汲み取りつつ最善のスタンダードを作り出せるのは、当然現地の医師や助産師といった専門家だ。たとえ外国人の感覚では合理的ではない場合があっても、現地の習慣に根付いた様式であることがもっとも重要なのだ。

「二つめは、最初から完璧なものを作ろうとしないこと。例えば現地でそれまで使っていた成長曲線など母子保健の素材をできる限りそのまま使い、そこに日本の母子手帳の良さを加えたものを簡易的に作り、まずは広く人々の手に渡るようにすることが大切です。内容はあとから必要に応じてリバイズできるのですから」と篠原氏は続ける。

HANDSは隔年で開催される「母子手帳国際会議」をサポートしている。2014年は第9回会議がカメルーンで開かれることが決まっており、各国地域の保健関係者が集まる。母子手帳の存在が世界の人々に認知され、必要とされている国へと広がるはずみになるだけでなく、それまでは国の一部でしか行われていなかった母子手帳プロジェクトが国家プロジェクトになるなど、この会議の役割は大きい。

「私たちが母子手帳を広めることに貢献した国に行き、一般の人々に母子手帳の話をすると『ああ、私も持っていますよ。私たちの国の自慢です』という反応が返ってくることがあります。もとから自国にあったものだと思っている人も多いんです。その言葉を聞くと、現地の人々が主導し、私たちは陰の存在に徹してきたからこそ、ここまで浸透し、愛用されているのだと嬉しくなります」。さらに、母子手帳が普及したことにより得られた効果として、「妊娠・出産・子育てに関する知識が増えた」「妊婦健診の回数や予防接種の接種率が向上した」などの声も挙がっているという。

単なる記録ツールという以上に、母子はもちろん、父親、医療従事者すべてに有益であり、多くの可能性を持っているのが母子手帳である。「日本で生まれた母子手帳が世界中で役立っていることを日本の人々に知ってもらうことも、日本と世界をつなげるきっかけになると思っています」と篠原氏はいう。

 



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