Home > Highlighting JAPAN >Highlighting Japan August 2014>国際協力60周年

Highlighting JAPAN

previous Next

国際協力60周年

ヨルダンでのパレスチナ難民女性の支援(仮訳)




1948年にイスラエルが建国され、その後中東地域に幾度もの紛争が起こったことによって膨大な数のパレスチナ人が隣国ヨルダンに脱出した際、難民の多くは短期で帰国できるものと考えていた。しかし、数十年経過した現在、テントと間に合わせの道具で生活していた難民キャンプは本格的な地域社会を形成し、中には10万人もの人口に達したものまである。いまやコンクリートでできた家々や商店が立ち並び、病院や学校などの施設も整い、その光景は一見、普通の町並みと変わらない。

国際協力機構(JICA) と共にヨルダン国内のパレスチナ難民キャンプで働く専門家である新岡真紀氏は、ヨルダンで生まれ育って「自分が難民であることすら知らない」という人々に出会い、衝撃を受けたという。難民の総数はヨルダンの総人口の3分の1近くに達し、最近では新たにシリアから流入する難民のためにその数はますます増加して、ヨルダンの受け入れ能力に対して重い負担になっていると彼女は指摘する。

2013年のヨルダン政府発表による国の失業率は約14%だが、新岡氏はパレスチナ難民キャンプではその数値は20%にも跳ね上がると推測している。JICAは、慢性化する高い失業率への対策として、ヨルダンへのODAの一環として4つの難民キャンプを対象に職業訓練・雇用センター(TEC)を6年前に開設した。

新岡氏は、2013年10月の着任後、TECを拠点にし、就職支援、人々(特に女性)の小規模ビジネス支援を目的とする職業訓練研修、人々が抱く女性の就労に対するネガティブな意識の変革を目指す行動変容プログラムなど、さまざまなプロジェクトの運営指導のために現地スタッフ(彼ら自身も多くは難民である)と共に働いている。

TECによって職が見つかったとしても、さらに克服しなければならない障壁が残っている。それは、人々が他人の目を極度に気にし、女性が家の外(特に工場勤務などのブルーカラーの仕事)で働くことを良しとしない「恥の文化」だと新岡氏は言う。例えば、妻が外で働くと夫の稼ぎが少ないのだと周りに思われることを気に掛け、また周りの目を気にしてステータスの高いオフィスワークに就くことを望み、工場での仕事を拒否する女性もいれば、夫や父(男性家族)に反対されてせっかく得た仕事をやめざるを得ない女性もいる。

また、既婚女性は家庭を守るべきだという考え方が社会的に重視されていることも考慮し、職業訓練プログラムでは家庭に居ながらできる仕事として現地の製法で手作りされる石鹸やクリーム、香水などを自分で作って売る訓練を行なっている。新岡氏は、「女性たちはこのプログラムによって家賃や学費が払えるようになったと感謝しています。彼女たちは、受身の消費者から活動的な生産者になり、自分も家計に貢献していると自信を持つようになりました」と語る。

生活態度やライフスタイルを変えることは簡単ではない。そのため、行動変容プログラムでは社会的ならびに宗教的規範に対する人々の考え方の幅を広げることを目的とした参加型ワークショップやキャンペーンなど、長期的な取り組みを行っている。「ここにいる人々の多くは、イスラム教では女性が働くことは禁じられていると思っています」と新岡氏は指摘する。そのような誤解を解くために、新岡氏とそのスタッフはポスター掲示や行動変容ワークショップの開催を開始し、女性が働くスペースを男性とは分けている職場など、イスラムの教義に背くことなく女性が働ける方法があることを教えている。

新岡氏は、職業に就くことが女性に力を与え、女性自身明るく変容させることを直接目にしてきた。例えば、顔に先天的欠損障害のある女性は、自身の生活を変えるためにTECを通じて職を見つけたが、当初はその容貌ゆえに雇用を拒絶された。TECの職員が彼女に代わってその工場に抗議し、彼女は職に就くことができた。彼女は稼いだ金で顔の再建手術を受け、そのことによって同僚との関係も改善された。「彼女は見違えるように外向的になりました」と新岡氏は付け加えた。

職を手にした女性が他人に与える影響の大きさをよく知っている新岡氏は、職に就くことで生活を変容させてきた彼女たちが、自らの経験を他の女性たちに語ることを期待している。「そのことが社会を変えるターニングポイントになると私は考えています」と新岡氏は語る。



previous Next