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Highlighting JAPAN

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国際協力60周年

日本のODAが歩んだ60年(仮訳)

石兼公博氏インタビュー



今年で60年を迎えた日本の政府開発援助(ODA)。これまでどのような歴史を辿り、各国とどのような絆を築いてきたのか、今後の向かうべき方向性とともに外務省 石兼公博国際協力局長にお話をお伺いした。

――日本のODAはどのような道を歩んできたのでしょうか

日本のODAは1954年のコロンボプラン加盟をきっかけに技術協力を開始し、戦後賠償と並行しながら、まず支援体制の整備が行われました。1977年からは日本の経済成長に伴い、ODAの量的拡充が図られ、計画的に支援額を増やしながらグローバルに展開するようになりました。1989年にはODAの量においてアメリカを抜いて世界第1位になり、1991年から2000年までの10年間は世界一の援助国として途上国の発展を支えました。

1992年になると、冷戦後の国際情勢に対応するため初めてのODA大綱が定められ、理念の明確化や政策面での強化が進められました。そして2003年、ODAを取り巻く国内外の状況の変化を踏まえ11年ぶりにODA大綱が改定され、そこからさらに11年が経過した今年、新しい時代のODAとして進化を遂げるべく、再びODA大綱の見直しが行われようとしています。

――日本の支援の特徴とはどのようなものですか

日本の支援には一貫した信念があります。まずは自助努力支援です。日本がインフラを整備するだけでは、途上国は自らの力で持続的な成長を遂げることはできません。現地の人材や産業を共に育て、その国が経済成長を遂げながら、自らの力で貧困を削減できるようになることが重要です。海外青年協力隊として世界各地に派遣された日本の若者たちが、農業や教育など現地の方々と一緒になり、共に悩みながら教えていくといった姿は、日本の自助努力支援の例と言えるでしょう。

二つ目は、経済成長を通じた貧困削減を重視していることが挙げられます。1960年代、日本のODAによってアジアのインフラが整備されたことにより、日本の企業が次々とアジアへ進出した結果、現地での雇用が生まれ、消費を促し、経済成長へとつながりました。いまやアジア、特にASEAN地域は日本にとっては欠くことのできないマーケットそして投資先となっています。

さらに、「人間の安全保障」の実現を提唱し、国民一人ひとりに着目した丁寧できめ細やかな支援手法を取ってきたことも特徴の一つです。飢えや災害、犯罪などの恐怖から個人を守り、一人ひとりの幸福を追求し続けてきたことが、人と人との絆を育て日本に対する信頼を築いてきたのだと自負しています。

――今後、日本のODAが目指すべき方向についてお聞かせください

世界の政治経済がグローバル化するということは、開発問題がさらに多様になることでもあります。従来のODAのスコープを拡大し、政府、地方自治体、民間企業など様々な主体や資金との連携や、新たな対象や課題への対応を可能とした「開発協力」にシフトしていくことが大切です。

東日本大震災では、163の国と地域および43の国際機関から支援を表明していただきました。中には、我が国がODAを供与している、数字上は貧しい国々でさえもが物資を支援し、温かなメッセージを送ってくれたのです。これはODAを通して培われた信頼関係が還ってきたのだと感謝を込めて受け止めています。

これまで築かれてきた途上国との絆を大切にするとともに、日本が培ってきた経験と知見を国際社会で共有し、新たな時代のODAの地平を切り開いていきたいと考えています。


日本のODA年表

1954年 コロンボプランに加盟、日本がODAを開始
1965年 日本青年海外協力隊(現:青年海外協力隊)の創設
1974年 国際協力事業団(JICA)設立1978年 ODA第1次中期目標発表
1989年 日本のODAがアメリカを抜いて1位に
1992年 ODA大綱の制定
2003年 ODA 大綱の改定
2014年 国際協力60周年





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