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Highlighting JAPAN

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特集新たな視点で眺める東京

東京の新しいシンボル:東京スカイツリー(仮訳)

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1958年の開業以来、東京のシンボルとして国内外の多くの人々から長年親しまれてきた東京タワーは、都心の中心部にそびえたつ。そこに、今年5月、東京の東に位置する下町エリアに、東京スカイツリーがオープンした。高さ634mの東京スカイツリーは、自立式電波塔として世界一の高さを誇る。それは、日本が長年培ってきた技術、伝統によって築かれた新たなシンボルと言える。




インタビュー:夜の富士山

戸恒浩人氏は東京スカイツリーのライティングを手掛けた照明デザイナーだ。戸恒氏にジャパンジャーナルの澤地治が話を聞いた。


──東京スカイツリーの照明デザインは、何をイメージして作られたのでしょうか。

戸恒浩人氏:夜空に浮かぶ富士山をイメージしました。東京スカイツリーをライティングすることで、スカイツリーは昼間の富士山のような存在になると思ったのです。江戸時代から江戸の人々は富士山が大好きで、浮世絵にも富士山がしばしば描かれてきました。今は建物も多いので富士山が見えにくくなりましたが、運良く富士山が見えると、日本人にとって誰もが嬉しい気持ちになります。そうした富士山の雪をイメージして、スカイツリーの上部は、白い照明で照らしています。また、スカイツリーの本体には、上から下へ光を当てることで、大地からふわっと浮かび上がった印象になるようにしています。

──東京スカイツリーでは、一日交替で、「粋」と「雅」をテーマにしたライティングがされていますね。

照明デザインを考える中で、江戸を表す言葉として、真っ直ぐな心意気を表現する「粋」、そして、柔らかな美意識を表現する「雅」が浮かんだのです。どちらか一つだけでは江戸を表現できないと思い、「粋」と「雅」の演出を日替わりで行うことを考えたのです。

粋は、祭りの時に着る法被の色や、隅田川の水辺をイメージした水色で、心柱を照らします。雅は、女性の和服や歌舞伎の衣裳にも使われる江戸紫で、外側の鉄骨を照らします。

──戸恒さんが考える「江戸らしさ」=「東京らしさ」を、さらに詳しく、具体的に教えていただけますか。

スカイツリーの照明を考えるにあたって、江戸に関する書物を読んだり、絵を見たりしましたが、江戸に住む人に対して、生き生きとして楽しそうなイメージをもちました。西日本の京都や大阪に比べると、江戸は、いろいろな人が地方から集まって出来た、新しい町です。その中での競い合い、あるいは、京都や大阪への対抗意識から、いろいろな文化を江戸の人は創り出しました。江戸には、勢い、スピードがありました。しかし、それらは粗野ではなく、むしろ、江戸はお洒落な町だと感じています。

──照明デザインが決定した2007年には、まだLEDは普及していませんでしたが、スカイツリーの照明にLEDを採用した理由をお教え下さい。

LED照明は、従来の照明に比べて、非常にきれいな色や微妙な色を作り出すことが可能です。しかも、消費電力が従来の照明より40%も低いのです。

また、展望台の周囲に搭載されているLEDを順番に点滅させることで、展望台の回りを光が回転しているように見せることや、建物の照明を、上から下へと20秒かけて、ゆっくり点けることもLEDだから可能でした。30分に1回、LED照明を使って「流れ星」を流す演出もしているのです。



東京スカイツリー百景

東京スカイツリーの楽しみは、展望台から眼下の東京を眺めるだけではない。周辺の寺院、川、公園からスカイツリーを眺める楽しみもある。江戸時代(1603-1867)に庶民が住み、今でも江戸の雰囲気を残す下町から東京スカイツリーを眺められるビューポイントのいくつかを紹介する。

隅田公園
1923年に発生した関東大震災は隅田川沿いの町に大きな被害を及ぼした。隅田公園はその後の復興計画の一環として1931年に完成、防災用の緑地、災害時の避難所の役割も担う。隅田公園には、日本庭園や釣り堀の他、川沿いに1kmに沿って桜並木が植えられ、春には花見を楽しむ人々で賑わう。

浅草寺
浅草寺の創建は628年と伝えられる、東京で最も古い寺院で、年間約3000万人の人々が訪れる。鎌倉時代(1192-1333)に将軍の帰依を受けて以来、著名な武将の信仰を集めるようになり、発展していく。浅草寺の入口には雷門と呼ばれる門が立ち、その先には、土産物屋や菓子を売る店が並ぶ「仲見世」がある。

吾妻橋
現在の吾妻橋の位置に木造の橋が架けられたのは1774年、当時は大川橋と呼ばれていた。1876年に架け替え行われ、吾妻橋と名付けられた。その後、数度、架け替えられ、現在の橋は1931年に建設されたものである。吾妻橋からは、東京スカイツリーと並んで、墨田区役所、琥珀色のガラスの建物の「アサヒビールタワー」、金色の巨大なオブジェが屋上に載った「スーパードライホール」が一望できる。

牛嶋神社
牛嶋神社は9世紀に建てられたと言われる神社。毎年9月中旬の週末に祭りが開かれる。祭りでは、御輿が町内を練り歩き、食べ物や飲み物を売る数多くの屋台が並び、地元の人で賑わう。牛嶋神社には、東京スカイツリーの氏神が祀られている。牛嶋神社は古くから牛を敬ってきた。神社には1825年に奉納された「撫牛」と呼ばれる青銅製の牛がある。自分の体の悪い部分と、この牛の同じ部分を撫でると、自分の悪い部分が治ると言われている。



技術の粋でスカイツリーを守る

地震や豪雨など自然災害の多い東京に立つ東京スカイツリーの安全は、最先端の技術によって支えられている。最も重要な技術が、世界初の制振システム「心柱制振」だ。心柱はもともと、日本の伝統建築である五重塔の中心に使われている柱のことを言う。東京スカイツリーの真ん中を貫く心柱は375mのコンクリート製の柱で、心柱とスカイツリーの本体は伸び縮みするオイルダンパーによってつながれている。地震や風によって、本体と心柱の揺れるタイミングがずれることで、揺れを相殺する仕組みだ。また、スカイツリーの足元に深さ50mまで打ち込まれている壁状の杭には、「ナックルウォール」と呼ばれる突起が付いており、固い地盤に杭がしっかりと引っかかるようになっている。こうした技術で、マグニチュード7.9を記録した1923年の関東大震災と同じレベルの地震や、2000年に1度と言われる風速毎秒83mの暴風でも、倒れることはない。

スカイツリーは地域の防災拠点としての役割も担っている。スカイツリーのある敷地の地下約20mには、約7000トンの水を貯める4つの水蓄熱槽がある。この水は通常、スカイツリーなどの施設の冷暖房に使われているが、大規模災害時には、生活用水、消防用水として地域に提供される。約7000トンは、約23万人が一日に使う水の量に匹敵する。

さらに、地下には、水蓄熱槽とは別に、約60個、合計約2600トンの雨水貯水槽も設けられている。そのうち約800トンは、トイレの流し水や施設内の樹木にまく水として使われるが、残りの約1800トンは、集中豪雨の時に、水を貯めて、周辺に流れる水を調節し、洪水を防ぐ役割をする。


「d47 MUSEUM」—日本初、47都道府県をテーマにした美術館

東京・渋谷の商業複合施設「渋谷ヒカリエ」の中にある「d47 MUSEUM」は、今年4月に開館したばかりの美術館だ。若者文化の発信地である渋谷で、駅に直結した好立地ということもあり、連日、老若男女、多くの人が気軽に立ち寄る場所となっている。

「d47 MUSEUM」の「d」はdesignのd、「47」は、日本の都道府県の数を表す。ここでは、企画展ごとにひとつのテーマを設定し、各都道府県から「その土地らしさ」のあるデザインやものづくりなどを紹介する。北海道から沖縄まで、日本各地の風土によって長年育まれてきた「その土地らしさ」は、驚くほど多彩だ。館内では、90cm×90cmの47個のテーブル上に、各都道府県から集められた展示品が並べられる。この美術館に立ち寄れば、東京にいながらにして、日本の多様性を一望の下に俯瞰できるのだ。

これまでの企画展では、旅行、地ビール、アクセサリーがテーマとなった。今後は、グッドデザイン賞やスーパーマーケット、アウトドアスポーツなど、多岐にわたる分野でテーマが検討されている。また、企画展の他、年に2、3回、一つの県を特集する特別展も開催される予定だ。

美術館には、展示品の一部を購入できる「d47 design travel store」や、日本各地の旬の食材を使った定食が味わえる「d47食堂」(カフェテリア)も併設されている。この場所で47都道府県を「知って」、「買って」、「食べて」みたら、気になる都道府県が発見できるかもしれない。「d47 MUSEUM」は、あらたな旅に「行く」きっかけを提供してくれる場所でもあるのだ。


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