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連載|やまとなでしこ

紛争地の人々に自信と希望を(仮訳)

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日本紛争予防センター事務局長の瀬谷ルミ子氏は、紛争地の紛争解決後に、DDR -兵士の武装解除(Disarmament)、動員解除(Demobilization)、社会復帰(Reintegration)-に取り組む、世界でも数少ない専門家の一人だ。これまでに、アフガニスタン、バルカン地域、ソマリア、ケニア、ルワンダ、シエラレオネ、コートジボアール、南スーダンで活動経験を持つ。ジャパンジャーナルの澤地治が瀬谷氏に話を聞いた。

──紛争解決を仕事にしようと考えるきっかけは何でしたでしょうか。

瀬谷ルミ子氏:1994年4月、新聞に掲載されていたルワンダ難民の親子の写真を見たことがきっかけでした。それは、難民キャンプで、コレラで死にかけている母親を、泣きながら起こそうとしている子どもの姿を捉えていました。それを見て、私は何が原因で、その家族と自分自身の生活に、大きな違いが生まれたのかということを考え始めたのです。そして、私が思っていたよりもずっと、世界は複雑であるということを、初めて学んだのです。彼らは、彼ら自身では、変えようにもない状況で死に瀕しているけど、私は、自分で努力さえすれば、自分で状況を変えられる社会に生きているという決定的な違いに気付いたのです。そして、自分は、状況を変えられない人のために、その状況を変える人になりたいと思いました。

しかし、既に、医療、食糧、シェルターといった人道支援を専門とする多くの専門家がいたので、私は現場で、需要と供給のギャップを埋める何か他のことをしたいとと思ったのです。日本には紛争解決を学べる学校もなかったので、ますます自分がやるべきことだと確信したのです。

──2003年から2年間、アフガニスタンでは、どのような仕事に携わったのでしょうか。

アフガニスタンの日本大使館員として、軍閥のDDR(兵士の武装解除、動員解除、社会復帰)を担当しました。国連のDDRと協力しながら、軍事衛星の写真、兵士の数、司令官の政治的な野心など、あらゆる情報を集めました。それらは、軍閥との交渉に活用されました。アフガニスタンでは、特に男性の文化の一部として、兵士が武器を大切に扱っています。彼らのプライドを傷つけず、武器を手放す選択が彼らの利益になるという状態を作ることが極めて重要でした

カブール郊外の武装解除の現場で、兵士たちに「日本が言うから、信頼して武器を差し出すんだ」と言われました。武装解除は非常に政治的、センシティブな活動です。しかし、中東でもアフリカでも、公平に見られますので、武装解除を進める上で、日本人であることは、非常にプラスに働きました。

ハーミド・カルザイ大統領にも、武装解除の状況報告のために、日本大使と一緒に、お会いした時期もありました。大統領は非常に明るく、冗談もよくおっしゃり、周囲を和ませるのが上手な方です。毎日、多くの方と面会しているのに、ある時、私に向かって、「きみは先週、その席で(冷房で)寒そうにしていたから、こっちに座ったほうがいいんじゃない?」とおっしゃったときは、その記憶力に驚きました。

──紛争地という緊張感ある現場で、女性スタッフが役立つ場面はありますか。

紛争で一番被害に遭いやすいのは女性や子どもです。女性であることで、そうした人たちに、直接アプローチができます。例えば、日本紛争予防センターでは、ソマリアで現在、干ばつや内戦で国内避難民になった被災者のうち、性的暴力やドメスティック・バイオレンスの被害者への支援を行っています。彼女たちは、男性には話すことが出来ない、実際の被害や心の傷を、女性スタッフには話します。

ソマリアでは、携帯電話のSMS(ショートメッセージ)を使って女性尊厳保護のメッセージを伝えるキャンペーンもしています。そうしたメッセージは、避難民の女性に考えてもらいました。それにより、彼女たちも自信を持つことができるのです。私たちはコミュニティの能力向上に焦点を当てています。それにより紛争の被害者自身も、社会改善の担い手になることができるからです。

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