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Highlighting JAPAN

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やまとなでしこ

家という感覚:A Sense of Home(仮訳)

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奈良県在住の河瀨直美さんは日本を代表する映画監督だ。1997年に映画「萌の朱雀」でカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少(27歳)受賞、2007年には「殯の森」でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞した。2011年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門招待作品となった「朱花の月」も「命の危うさ、自然と人間との融合が見事に描かれている」と称賛され、カンヌでの公式上映後は、上映会場の2300席を埋めた観客から5分間ものスタンディングオベーションを受けている。河瀨監督に、ジャパンジャーナルの澤地治が話を聞いた。

──河瀨監督は、なぜ映画監督になろうと思ったのでしょうか。

河瀨直美監督:高校3年の夏頃、卒業後の進路を決めるにあたって、私は非常に迷っていました。中学時代から続けているバスケットボールで、体育大学の推薦入学という選択肢がありましたが、何歳まで選手でいられるかを考えると不安になりました。いろいろと悩んだ末、生涯現場に立って、仲間と一緒にものを創る仕事に就こうと思ったのです。それが何かというと、映画監督だったのです。ただ、最初から映画監督を夢見ていたのではなく、「TVの現場に行きたい」という気持ちから始まったのです。そして、高校卒業後、大阪の専門学校で映像制作の勉強を始めました。初めての授業で8ミリを持って町を撮影して以来、カメラを通して、世界を見ることの面白さにのめりこんでいったのです。

──学校を卒業した後は、何をされていたのでしょうか。

自分には才能がないと思い、映像会社に就職して、カラオケビデオの制作をしていました。しかし、やはり映画を作りたいと思うようになり、卒業した専門学校の講師をしながら、1992年、23歳の時に、「につつまれて」という作品を作りました。これは、一度も会ったことがない私の父親を探しに旅に出るというドキュメンタリーです。そして、その後、私の養母との暮らしを綴った「かたつもり」というドキュメンタリーを撮りました。この両作品は、山形ドキュメンタリー映画祭で賞を頂き、世界各国で上映されました。そうした評価を得たことがきっかけで、「萌の朱雀」の制作につなげられたのだと思います。

──「萌の朱雀」や最新作の「朱花の月」を含め、河瀨監督は奈良を舞台にした映画を数多く制作していますが、それは何故でしょうか。

河瀨直美監督:奈良は生まれ育った故郷であるだけではなく、人々の長い歴史があり、自然豊かな場所だからです。私は、人間は古代の人々とつながっていること、また、自然の一部であるということを、映画を通じて人々に伝えたいのです。

奈良には、藤原京と呼ばれる、約1300年前に作られた、日本で最も古い都がありました。「朱花の月」には、その発掘現場が登場しますが、奈良は、言わば日本という国が始まった場所なのです。そして、東大寺の「お水取り」や春日大社の「おん祭り」など、何百年にも渡って祭事が絶えることなく続けられています。

また、私は今、「美しき日本・奈良県」というインターネット配信の動画シリーズを制作していますが、その中で紹介した十津川村では、人と自然が見事に共存しています。人々は今でも、川の魚、山菜、あるいは、イノシシや鹿といった自然の恵みをいただきながら、ともに生活しています。また、村人はお互いに助け合うという精神がとても強いです。

私はこうした奈良の素晴らしさを国内外の方々に知っていただくために2010年に始まった「なら国際映画祭」のエグゼクティブディレクターを務めています。今年9月に開催される2回目では、メキシコ人の若手映画監督が、奈良の十津川村で撮影した映画がオープニング上映されます。

──東日本大震災後に、河瀨監督は「3.11 A Sense of Home Films」の制作を、世界の監督に呼びかけましたが、その理由をお聞かせ下さい。

東日本大震災で多くの人が、家や故郷を失いました。映画を通して自分が何かできないかと考えていたところ、それぞれの家や故郷を今一度再認識する映画を、世界中の監督が参加して作るというアイデアが浮かんだのです。海外の監督も、日本で起きた悲劇を、自分の身に起こったように受け止め、作品を提供して下さいました。スペインの巨匠、ビクトリ・エリセ監督は「地球は人類の家です」という言葉を作品と併せて寄せて頂きました。この映画を見た、避難中の東日本大震災の被災者の方から、「ありがとう」と言って頂いた時は、本当に嬉しかったです。

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