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Highlighting JAPAN

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和の心を受け継ぐ外国人

青い目の琵琶法師(仮訳)

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スイス人音楽学者のシルヴァン・ギニャール博士は、日本の伝統的な楽器である琵琶の演奏者だ。2006年に逝去した人間国宝の琵琶奏者、山崎旭翠(ぎょくすい)女史に23年間師事した唯一の外国人で、筑前琵琶の演奏家として幅広い活動を続けている。聴く者を陶酔させてやまないギニャール博士の琵琶演奏の魅力について、松原敏雄がレポートする。

ギニャール博士は元々、スイスのチューリッヒ大学でショパン音楽を専門とし研究を重ねていた。琵琶に興味を持ったのは、大学で東洋音楽史をほとんどマンツーマンで教わった日本人の音楽学者に強い影響を受けたからである。

「琵琶や邦楽文化を学んだら、あなたの西洋のクラッシック音楽の専門家としての学識もより奥深くなる。だから、日本で4年間ほど経験を積んだらどうか。そう先生に言われたのが、琵琶に触れることになったきっかけです」とギニャール博士は語る。「西洋音楽以外のものを学びたいと思っていたこともあり、ごく軽い気持ちで日本にやってきたのです。まさかそのまま日本で琵琶奏者になるとは、想像もしていませんでした」

 琵琶は非常に古い歴史を持つ楽器で、起源はペルシャという説が一般的である。日本には1400年前にシルクロードを経由して入ってきたと言われている。西洋梨のような形をしたリュート系の弦楽器で、日本では平家琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶など、いくつかの種類へと派生しながら独自の発展を遂げてきた。

 日本の文部省の奨学留学生として1983年に来日したギニャール博士は大阪大学で琵琶を研究することになったが、「研究だけでなく、実際に楽器に触れた方がいい」という師事していた教授の勧めから、後に人間国宝となる日本屈指の筑前琵琶の奏者である山崎旭翠女史を紹介されることになる。これが、ギニャール博士にとってはまさに運命的な出会いとなった。

「先生は当時78歳で外国人の弟子を持つのは初めてでしたが、私を快く受け入れてくれました。当初は日本語もよく分からず大変でしたが、芸の深さも人間の深さも、本当に素晴らしい方でした。ただもう先生の魅力に惹かれて、先生が100歳で亡くなる直前まで22年間も教えを授かり、琵琶の深みに入ることができたのです。私にとって、この経験はまさに宝物でした」

 琵琶は他の楽器とは異なり、独立した楽器というだけではなく古い物語の「語り」とセットで常に演じられる。いわばストーリーテリングのための楽器なのだ。まさしくその点が琵琶の大きな魅力だとギニャール博士は言う。

「非常に情感豊かな表現ができるのが、琵琶の大きな特徴です。弦楽器と声による表現がひとつに重なり合うことで、他の音楽ジャンルにはない深い情感を引き出すことができるのです。楽器そのものもフレットが高く、弦を押さえる指の圧を微妙に変えることで、様々なピッチと音色を出すことができます」

 琵琶には他にも際立った特徴があるとギニャール博士は語る。

「琵琶は種類によって演奏技術が大きく異なり、一人の先生は一つの琵琶しか教えることができません。フレットやバチの形状も違いますし、それぞれの演者同士の交流もありません。例えば薩摩琵琶はフレットが最も高く、強い指圧を使って武士の闘志を表現します。一方、平家琵琶のフレットは低く、指は軽く弦を押さえるだけ。公家の哀れの世界を表現します。私が教えを受けた筑前琵琶は薩摩琵琶に似てフレットが高く、指圧の加減で悲しさ、嬉しさ、勇壮感など、非常に幅広い音色を出すことができます」

 まるで憑りつかれたように琵琶の世界にのめり込んでいったギニャール博士は、ある日、琵琶の稽古中、山崎先生からこんなことを言われることになる。

「この曲の演奏について私はもう何も言いません。これからは、私を真似るのではなく、あなたならではの作品にしてください」

 山崎先生の教えを受けてから6年後のことである。それは、ギニャール博士の琵琶がようやく芸術としての道をたどり始めたことを認める言葉だった。それから本当に納得のいく演奏ができるようになるまで、トータルで20年を要したとギニャール博士は言う。

「瞬間を捉えること、体と精神が一つになって音楽的本質を表現するということがどういうことかわかるまで、20年の年月がかかりました。芸術は決して遊びではありません。とても長く厳しい道です」

 いま、ギニャール博士は奥様のアンネマリーさんと共に、日本最大の湖である琵琶湖を見下ろす滋賀県大津市に住んでいる。スイスの湖を思い出させる心休まる地で、琵琶の練習に欠かせない静けさも貴重だという。大阪学院大学国際学部の教授として音楽と芸術を教えるかたわら、週末は琵琶奏者として演奏会のスケジュールがぎっしり詰まっている。心の底から湧き上がるような演奏が評判を呼び、演奏会の依頼が引きも切らない状況が続いている。4月にはチューリッヒで大規模な演奏会が行われる予定だ。

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