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Highlighting JAPAN

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特集日本のテーマパークを支えるハードとソフト

古き日本にタイムスリップ(仮訳)

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東京都小金井市にある江戸東京たてもの園は「文化を育み、次世代に継承できる環境を創出する」という東京都の文化事業の一環として、1993年に都立小金井公園の中に開園した野外博物館だ。約7ヘクタールの敷地の中に、もとは1652年から1942年までの間に建てられた建造物が復元されている。松原敏雄が報告する。

日本は明治時代(1868-1912)以降の近代化の中で、都市建設、防災という目的で、従来の伝統的な木造建築とは異なった、西洋的な建物の建築を進めた。その結果、日本的な伝統建築は数が減少していった。そうした伝統的な建築を保存するために、日本には建物そのものを移築、復元し、公開している施設がある。例えば、明治時代のホテルや教会など建築物がある愛知県犬山市の「明治村」、江戸時代の農家、商家、武士住宅などの建築物がある石川県金沢市の「金沢湯涌江戸村」がある。

東京では、小金井市にある「江戸東京たてもの園」が有名だ。江戸東京たてもの園にある全29棟の建造物は、九州の奄美大島にあった1棟を除き、すべて東京(江戸時代は江戸と呼ばれていた)にあったものである。

いずれも、現地で保存することが不可能になった文化的価値の高い歴史的建造物を解体し、園内に復元したうえで保存・展示されている。

敷地内は東京都の地形を模して設計されている。東ゾーンでは商人と職人が多く住んでいた東京の下町、西ゾーンでは山の手の郊外住宅や、東京郊外の武蔵野台地に建てられていた民家を配置している。

西ゾーンにある茅葺き民家では、ボランティアによって囲炉裏に火が入れられている。燻煙で茅に虫がつくのを防ぐと同時に、来園者は当時の農家の暮らしぶりを知ることが出来る。東ゾーンの下町では、明治時代の石造りの交番や電燈が建っていたり、商店の陳列棚には当時の商品が正確に複製されて並べられていたりと、単なる建物の再現だけでなく、当時の生活や商売の様子も実証に基づいて再現されている。

9月、この下町エリアで新たに二つの建物の復元作業が終了し、公開された。1860年代から1870年代の間に建てられたと推定される木造2階建ての旅館「万徳旅館」、そして1928年に建てられた木造3階建ての商店「大和屋本店」である。共に家主から都に寄贈された建物で、10年以上前に全部材に番号を付して解体され、解体図面とともに大切に保管されていた。2008年、3月東京都はこれらを復元することを決定、江戸東京たてもの園では2年の歳月をかけてどの年代の状態に復元するかという基本設計と施工のための実施設計を練り上げ、1年半に及ぶ復元工事を経てようやく完成したのである。

万徳旅館は東京都内に130年あまりも建っていた宿で、かつては行商人が数多く利用していた。復元に際して、検討の末に外観が創建時当初、室内は1950年前後の旅館の営業の様子を再現することとなった。復元を担当した学芸員の早川典子さんは、復元作業の困難さをこのように語る。

「創建時の状況を再現するために万徳旅館に関連する古文書を可能な限り見つけ出し、室内は旧所有者の方の記憶に基づいて忠実に再現するよう腐心しました。この旅館は何度か増改築が行われていますが、もちろん設計図などは存在しません。部材に残る柱や梁の痕跡を綿密に調べながら、創建当初の形を一つひとつ考察していったのですよ」

耐震構造や防火対策などを現代の建築基準法に適合させながら、当時の様子をできるだけ忠実に再現したという。一方の大和屋本店は乾物を扱っていた商店で、「出桁(だしげた)造り」と「看板建築」という二つの特徴を併せ持っている。前者は角材を屋根の下にいくつも配して外観を豪華に見せる江戸時代以来の伝統的な形式で、後者は外壁を銅板やタイルで覆って装飾を施した建築方式である。関東大震災以降に火災に強い建物が求められ、下町を中心に広がった。

「乾物屋は、昔は日本のどの商店街にも必ずありました。日常の乾物食品を扱うと同時に、婚礼の際の結納品や贈答品を調える役割も担っていたのです。乾物屋は庶民の人生の節目や年中行事にも深く結びついていたということを、展示物を通して感じていただければと思います」と学芸員の米崎清実さんは語る。

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