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国際森林年

森里海連環学入門(仮訳)

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田中克国際高等研究所チーフリサーチフェローは40数年間にわたる海産稚魚の生態研究を経て2003年に「森里海連環学」を提唱した。この新しい学問は、いったい何を目指そうとしているのかを松原敏雄が田中氏に聞いた。

──「森里海連環学」とは、いったいどんな学問なのでしょうか?

田中克氏:森里海連環学は森と海のつながりを再生する統合学問です。21世紀は、水に関わる問題が人類にとって非常に重要になってくると言われています。Headwater(源流)から Ocean (海)まで(Headwater to Ocean)という概念に水の意味も重ね合わせ、英語ではH2O Studiesと表記しています。

森の腐葉土は植物プランクトンの発生に欠かせない『溶存鉄』を生み出し、それが川によって海に運ばれることで、餌の豊富な豊かな海が生まれます。川の流域の湿地帯も溶存鉄の重要な供給元です。ところが現在、山の森が荒れて十分な腐葉土が堆積しなくなり、川は護岸で固められてしまったことで、十分な溶存鉄が海に流れ込まない事例が増えています。これが沿岸域の漁獲量減少の大きな原因の一つにもなっています。森里海連環学は、この人間が壊してしまった森と川と海の連環を、もう一度再生することを目的としています。

──具体的にはどんな研究や活動を行っているのですか。

1989年に宮城県の気仙沼で始まったNPO「森は海の恋人」と密接に連携しています。運動を始めた畠山重篤さんは汚れた海を再生して牡蠣養殖を蘇らせるために、山の森の再生に着目しました。シンボルとしての植樹祭を毎年行いながら、子供たちの環境教育に力を注いできました。毎年500人前後の子供たちを漁村に招き、海を肌で感じてもらう。そうすることで、山と里と海のつながり、自分たちの暮らしが漁師の暮らしに直結していることを体感してもらうわけです。

その結果、子供たちは自分達が使う歯磨き粉や石鹸の量を半分にしたり 、農家の子だと農薬を減らしてくれと言って親を驚かせたりします。そうした子供たちの言動がきっかけになって地域の人々の意識が変わり、行政も動いて流域の環境は大きく変化しました。

──被災地の復興にこの学問をどのように活かしていくのですか?

森里海連環に根差した総合第一次産業を創出するために、まずは林業と沿岸漁業を同時に再生させたいと考えています。津波で破壊された漁村の住宅を、地元の森の木を使い、強耐震性工法(フレーム工法)とEDS(Ecology Dry System)工法を用いて再建する予定です。EDS工法とは、切り出した木材を熱と煙で燻製させることで、通常であれば最低でも1年を要する乾燥期間を、わずか5日前後に短縮して堅固な建材に変える処理方法です。しかも木の種類を問うことなく良質な建材になります。また、従来木の伐採時期は、地中からの水の吸い上げが止まる秋口から冬に限られていました。木材を効率的に自然乾燥させるための重要な決まり事でしたが、この工法を用いれば1年を通して伐採を行えるようになります。林業再生の突破口になる可能性を秘めた画期的な工法です。


NPO法人 森は海の恋人・代表 畠山重篤氏(仮訳)

東日本大震災による津波で、宮城県気仙沼は大きな被害を受けた。NPO法人 海は森の恋人・代表の畠山重篤氏のカキ養殖施設や船、そして会の事務所も、津波によって流されてしまった。しかし、大震災後、気仙沼市には数多くのボランティアが訪れ、カキ養殖場周辺の瓦礫の撤去が進められている。6月には、1989年以来、毎年続けている広葉樹の植樹祭も例年通り行われた。また、8月には「海は森の恋人」はサントリー地域文化賞を受賞した。

9月13日には、東京で、畠山氏の被災地支援講演会が開催された。

「山と海と川は密接につながっています。だからこそ、山をしっかり整備する必要があるんです」と畠山さんは言う。「間伐と伐採をしっかり行って下草に光を入れ、新芽を成長させる。そうした作業で雇用を生み出しながら地元の木材で建築物を復興させ、気が付いたら溶存鉄が流れ込んで海も豊かになっている。今回の震災が、そんな新たなモデル作りのきっかけになればと思っています」


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