Home > Highlighting JAPAN > Highlighting JAPAN 2011年9月号 > 和傘を改革:日吉屋(仮訳)

Highlighting JAPAN

前へ次へ

JAPAN BRAND

和傘を改革:日吉屋(仮訳)

English

京都の小さな会社社長は、日本の代表的な伝統工芸品の一つを21世紀の現代だけでなく世界中の国々へもたらしている。ギャビン・ブレアが訪問した。

最盛期の明治時代(1868年−1912年)、京都には和傘を作る工房が200ヵ所以上あった。そうした工房も、今日では日吉屋を残すのみである。和傘が使われなくなるとともに売上が落ち込んだことから、日吉屋もまた廃業の危機にあった。その日吉屋を救ったのが、現在の社長である西堀耕太郎氏である。彼は、伝統工芸品に新たな方向性を取り入れることで事業を立て直した。

一本の竹材から作る和傘の製作工程は骨が折れる手仕事で、全体が和紙(日本の伝統技法で制作される紙)で覆われており、様々なデザインの物が作られている。和傘は、約千年ほど昔に中国から伝来して以来、こうした方法で作られ続けてきた。亜麻仁油を用いて傘に防水を施し、雨傘として一般民衆の間に普及するようになったのは、二、三百年ほど前の比較的近代になってから発展した方法である。

西堀氏の説明によると、「和傘には、日傘、雨傘、そして茶会などで使われる大傘といったように主に三種類ある」。

西堀氏は日吉屋当主の五代目にあたるが、別の仕事からこの世界に入り、前当主の娘婿となった。その当時、彼は地方公務員の身で伝統工芸品製造会社を経営する術など全く知る由もなかった。それでも、自分の目で確かめて和傘の技巧の素晴らしさを理解するようになり、多くの友人たちの忠告を振り切って、12年前にこの仕事を引き継ぐことを決心した。

西堀氏は次のように語っている。「和傘を使う人が年々減少しているため、この会社を存続させるには何か新規事業に取り組まざるを得ませんでした。そこで、和傘の伝統工法や、材料、技術を利用して照明器具やランプシェードを作ることにしたのです」

伝統的な竹や和紙といった素材からランプを作る他にも、西堀氏は和傘の形状やデザインを用いたスチールとプラスチック製のシリーズも生み出した。そうしたランプシェードは、個人宅用に購入されるだけでなく、国内外のレストランや、カフェ、ホテルでも使われている。

西堀氏は、海外市場向けの製品開発の際には常に試行錯誤によって教訓を学んできた。彼の説明によると、初めて作ったランプ製品を見てもらおうとヨーロッパへ持ち込んだところ、あまりにも小さいとみなされたという。また明るすぎるとも言われたため、照度が低い電球を使用したサイズが大きめのものを作った。現在、西堀氏のランプ製品は12ヵ国で販売されており、日吉屋の売上のおよそ40%を占めている。特に好評なのは中欧で、数々のデザイン賞を受賞している。

西堀氏はこう語ってくれた。「昨年、上海で展示会に出展したのですが、自社の商品は中国市場向けとしては高価すぎるのではないか思っていました。ところが、ふたを開けてみると全くそういうことはなかったのです」。

「日本でさえ、和傘を実際に買いたいと思っても、どこで買ったらよいものか分からないことがよくあります。インターネットはこの点本当に便利で、うちのホームページにアクセスするビジター数もウェブサイトを立ち上げた1998年以降大幅に増えています」。

西堀氏は、高校卒業後、カナダのトロントへ移住した親戚のもとでホームステイをしながら留学した経験があり、英語を話せるようになった。彼の英語力は、海外との取引が増えるにつれ役立ってきた。また彼は、新しい製品ラインアップに関してヨーロッパのデザイナーとのコラボレーションにも取り組んでおり、日吉屋の展示会で世界中を駆け回っている。

西堀氏によると、和傘作りやその修繕の伝統的技術を守っていく唯一の方法は、現代のグローバル市場で売れる、日常生活品として使える商品を生み出すことだという。

「伝統については様々な意見がありますが、初めから伝統として生まれてきたものは何もありません。現在、伝統的だと考えられているものも、かつては新しいものだったのです」と、西堀氏は指摘している。「伝統とはイノベーションが続いていくプロセスだというのが私の哲学です」。

前へ次へ