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Highlighting JAPAN

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やまとなでしこ

世界初の裸眼3Dを開発(仮訳)

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大手電機メーカーである東芝は2010年12月、裸眼で3D映像を見ることが出来るテレビを世界で初めて発売した。この画期的技術の開発のリーダーを務めたのが東芝の研究開発センター主任研究員の福島理恵子氏だ。この業績で、福島氏は、2010年に21世紀発明賞、同年に日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー大賞など数多くの賞に輝いている。ジャパンジャーナルの澤地治が福島氏に話を聞いた。

──どういったきっかけで科学に興味を持つようになったのでしょうか。

福島理恵子氏:日本では、理科系には男性が進むという風潮が強いのですが、自分はそうした風潮に流されたくない気持ちがありました。正直、数学や物理は英語や国語に比べれば得意ではなかったですが、投げ出したくなかったのです。科学への興味と言うよりは、単に、教科書に書いてあることを理解したいという欲求が強かったです。

──大学院で有機化学を研究された後、1995年に東芝に入社をされましたが、最初は何を研究したのでしょうか。

私は大学院を卒業したら、研究者として企業に就職したいと思いました。自分の研究成果が製品となってユーザーに届けられることが、自分にとっては研究のモチベーションになると思ったのです。

最初は、液晶ディスプレイに使う液晶材料の研究をしました。まわりの先輩がとても優秀で、自分がなかなか成果を上げられず、暗中模索の日々でした。クリーンルームや実験室にずっとこもって、終電で帰るといった生活でした。

ただ、私生活では自分の思い描いていた通りに、29歳で結婚して、30歳で娘を出産し、1年間の育児休暇を取りました。

子どもを育てるのは楽しいですが、子どもの欲求に合わせなければならない生活は非常に大変でした。職場では「あなたは何がやりたいのですか、やりたいことがあれば提案して下さい」と言われていたことを思い返し、職場では自分がやりたいことが出来ることに改めて気づいたのです。

2002年に復職すると、上司から3Dの研究をしないかと勧められました。

──とまどいはありましたか?

正直、材料の研究をしていた私がなぜ3Dをと思いました。ただ、私が材料だけでなく、製品のシステム全体に興味があるのではと上司は思い、3Dの分野できっと面白いことをやるだろうと感じたので、推薦をしてくれたそうです。

実際、裸眼3Dテレビの実用化につながる発見ができたのは、3Dの研究チームに入って半年ぐらい経ってからでした。ある会議に出席したときに、その会議のテーマにあまり集中できずに、他のことを考えていたんですね(笑)。その時に、思いついたのです。

これまでも裸眼で見られる3Dディスプレイはすでに開発されていましたが、鑑賞者が正しい3D映像を見ることが出来る範囲が非常に狭かったため、テレビとして商品化することができませんでした。少しでも頭をずらすと、3D映像に見えなかったのです。その理由は、3D映像を正しく見るために必要なディスプレイからの光線を鑑賞者が得られないからだと気付いたのです。そこで、正しい3D映像のための光線が鑑賞者により多く向かうよう、ディスプレイの画素を工夫したのです。

──それから、本格的な裸眼3Dの実用化に向けた研究が始まったのですね。

それからは、研究開発の「青春時代」ですね。数名しかいない研究開発メンバーの一人として、これまで誰も描いたことがない東芝の3Dの姿を作ることに参加することが出来て本当に楽しかったです。2005年頃に、製品化することが正式に決定され、メンバーも一気に増えました。しかし、品質を維持しながら量産化し、かつ利益も生み出すということも考える必要があるので、仕事は大変になりました。子どもを保育園に迎えに行くので、仕事は5時ぐらいまでに切り上げなければならなかったので、他のメンバーや家族にとても助けられましたね。この時以来、朝食作りは夫の担当です。

──息抜きは何でしょうか。

娘と一緒にいるときは、仕事や研究のことは、全部忘れます。私の夫は大学の研究者ですが、彼のように研究者には、朝から晩まで自分の研究のことを考えている人が多いのですが、私は違いますね。

あと、スナック菓子の入った袋に入に手を入れて、お菓子をばりばり食べるのが好きです(笑)。

──これからどのような製品を作りたいと思っていますか。

後生の人たちが、今の時代の研究者の研究に感謝してくれるような研究をしたいです。以前、小学生の娘に「地球に住めなくなったときに、他に住める星はあるの」と聞かれたことがあります。大量生産、大量消費の時代は変わるのではと私は、以前から思っていたのですが、今回の東日本大震災でそうした思いは多くの日本人に広がったのではないでしょうか。現在は環境負荷の少ない製品作りに携わっていて、非常にやりがいを感じています。

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