Skip to Content

February 2024

大分県の一村一品運動による地域の活性化

  • 関さばと関あじの刺身の盛り付け例
  • 大分のかぼす。大分でよく食べられるとり天(鶏肉の天ぷら)などにも添えられる。果汁を絞って使う。
  • ブランドネームを貼られて売られている関さば
  • 豊後高田市(ぶんごたかだし)の商店街は1960年代の街並みを再現することで、観光客を呼んだ。
関さばと関あじの刺身の盛り付け例

地域活性化のためのプロジェクトとして知られる「一村一品(いっそんいっぴん)運動」は、1980年ごろから、大分県で始まり、日本全国に広まっていった。その発祥の地である大分県の担当者に、一村一品運動について話を聴いた。

一村一品運動は、1979年に当時の大分県知事、平松守彦氏*が提唱したものだ。大分県庁のおおいた創生推進課で地方創生を担当する、廣田陽祐(ひろた ようすけ)さんに一村一品運動について、話を聴いた。「一村一品運動を推進した平松元大分県知事は、2003年3月の県議会で、当時の時代背景、運動の本質を次のように述べています。『人、物、情報の東京一極集中が進み、東京の住人は不満が多い。一方、地方はますます過疎に悩み、不安に思う。この"東京不満、地方不安"という時代背景があるなかで、大分県を活性化するには、環境を保全しながら地域にある資源を生かして発展する"内発的発展"が必要である。そして、この内発的発展方式である一村一品運動を一貫して推進をしてきた』と。つまり一村一品運動とは、自主自立、創意工夫しながら、地域資源を掘り出して特産物とし、更にブランド化して地域経済を活性化しつつ、それを生み出す環境を維持して共生するまちづくりをしていこうという運動なのです」。

こうした大分県内の一村一品運動により、今でも知られている数々の特産品が生まれた。その代表的なものとして、全国的に知られる関(せき)さば、関あじ**は、ブランド魚として成功した例だ。他にも、臼杵(うすき)のふぐ***も挙げられる。農産物は、大分かぼす、白ねぎなど大分ブランドが育ってきた。農産物以外でも、豊後高田(ぶんごたかだ)市の商店街活性化対策****なども、一村一品運動の精神によるものであると位置づけられている。

ブランドネームを貼られて売られている関さば
大分のかぼす。大分でよく食べられるとり天(鶏肉の天ぷら)などにも添えられる。果汁を絞って使う。

「また、平松元大分県知事は長きに渡り進めてきた、一村一品運動を次のように総括しています。第一期(1979年〜1988年)は大分かぼすなど特産品が生まれた時代、第二期(1988年〜1994年)は関さば、関あじなどの特産品のブランド化などが進み、磨きをかけた時代、第三期(1995年〜2003年)はアジア各国や欧米など海外へと交流が広がり交わる時代であった。そして、以降は民間ベースのなかで、これからの新しい人づくり、新しい物づくりをやっていく、お互いに切磋琢磨して、さらに新しいことが求められる"継承・循環の時代"になる。そして最後に、『一村一品運動の実践活動を通して培われた地域力、人間力がこれからの豊の国(とよのくに*****)大分の創造、発展の礎となる』、『この運動の精神を継承し、県民みずからによる主体的な取組を"継続は力"で進化、発展させ、県勢発展の原動力としていただきたい』とまとめています」と廣田さんは説明する。

豊後高田市(ぶんごたかだし)の商店街は1960年代の街並みを再現することで、観光客を呼んだ。

一村一品運動は、今でも海外でモデルとなっている。その精神は地域活性化のための原点として、長きに渡って継承されていくに違いない。

* 1924年生〜2016年没。大分県出身で通商産業省(現経済産業省)、国土庁等の官僚を経て大分県副知事に就任。1979年大分知事に当選。6期24年務めた(2003年で退任)。一村一品運動は知事就任直後から提唱、当時、イメージの薄かった大分県の知名度をあげた。
** 瀬戸内海と太平洋の潮目である、豊後水道(ぶんごすいどう)で一本釣りされるマアジ・マサバの呼び名。そのうまさ、歯ごたえのよさから、高級魚として知られる。関あしの旬は7〜9月、関さばの旬は12〜3月ごろ。
*** 臼杵市(うすきし)は、大分県の南東部に位置し、2021年には、「ユネスコ創造都市ネットワーク」に食文化分野での加盟を認定されている。
**** 大分県北部の町。1965年ごろの商店街の雰囲気を楽しめる観光地として、2001年に誕生。2017年にはアジア都市景観賞を受賞している。
***** 九州の北東部に位置し、現在の福岡県東部および大分県全域に相当する呼び名。7世紀末に豊前、豊後に分割される前は豊の国と言っていた。