January 2024
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平和への祈りをしたためるウクライナ出身の神職
ウクライナ出身の梅林テチャナさんは、結婚を機に来日し、埼玉県北部の上里町にある上里菅原神社(かみさとすがわらじんじゃ)で権禰宜(ごんねぎ)*を2020年から務める。ウクライナ侵攻が始まると母国の情勢に心を痛め、平和を祈念する御朱印**を頒布(はんぷ)している。
テチャナさんはウクライナ西部のルーマニアとの国境に近いラヒフ出身。ボリス・グリンチェンコ・キーウ首都大学で日本語と英語を教える講師として働いていたとき、同じく日本語の講師仲間で上里菅原神社の宮司(ぐうじ)(当時は禰宜(ねぎ))である正樹(まさき)さんと出会い、2009年に来日して結婚した。初詣***時期前の準備など神社の仕事を手伝う中で神道****に興味を持ち、神職に外国人でもなれることを知ると、2020年に國學院大學の神職養成講習を受講して神職の資格を取得。同じ年には、神社本庁*****より同神社の権禰宜に任命された。以来、テチャナさんは、数々の神事を執り行うとともに、珍しいウクライナ語版と英語版の御朱印を書き記して頒布している。
「神職になるための講習では、日本の歴史や古典などの座学から、祭式という神事の作法を始めとする実技まで、専門的で幅広い知識を学びました。その甲斐あって、今では祭式の動作一つ一つに込められた意味を理解できるようになりました。神社では、参拝者の希望により、受験合格、安産、病気平癒、商売繁盛など、神職が祈祷を行いますが、祈祷してほしいと私を指名してくださる方もいてとても嬉しく思います。今は日本語で御朱印を書けるようになりたいので書道教室に通って練習しています」
母国であるウクライナへの侵攻が始まった2022年2月24日、テチャナさんは戦禍に見舞われる故郷の様子を悲痛な思いでテレビ報道を通して見守った。侵攻前から両親と弟はチェコ、姉は結婚してポーランドと、家族はウクライナ国外に住んでいるが、親族や友人は今もウクライナに残る。
「かつて住んだ街が戦禍にさらされる光景を見たときは、ショックと悲しさと怒りの気持ちが沸き上がってきて、遠く離れた日本で何もできないことを歯がゆく感じました」
故郷に平和が戻ることを祈り応援する気持ちを伝えたいと、侵攻後すぐに上里菅原神社のウクライナ語版と英語版の御朱印に、ウクライナ語で「ウクライナに栄光あれ」、英語で「ウクライナとともに」のメッセージをそれぞれ記し、上里菅原神社の公式SNSに投稿した。すると投稿を見て、彼女の思いに賛同した人々が、これらの御朱印を求めて続々と同神社を訪れた。一時は遠方からも参拝者が来訪し、鳥居******まで長蛇の列ができた。
「皆さんが『ウクライナが平和になりますように』『元の生活に戻りますように』と温かい言葉を掛けてくださいました。中には涙ながらに握手を求める方もいらっしゃいました」
同神社では御朱印のほかにも、ウクライナの国旗にちなんだ青色と黄色のリボンを参拝者が境内の手すりに結ぶ取組や、近隣住民から奉納された青色と黄色の紙で折られた千羽鶴*******を飾ることで、平和を祈念している。また、朝の時間に世界平和を祈る「朝拝(ちょうはい)」を、侵攻のあった年から週1~2回ほど欠かさず行っており、今なお参列する人は後を絶たない。
「私たちには祈ることしかできませんが、それでも平和な日が訪れるまで祈願し続けていきたいです」
* 日本の神社で御祭神に仕えることを職とする者の総称。神官とも通称する。祈祷など神事全般に従事する神職の役職。神社によって差異があり一律ではないが、神社の長である宮司を頂点に、権宮司、禰宜、権禰宜といった役職があり、神職に就くには資格が必須。なお、上里菅原神社は、学問の神様として知られている菅原道真公(845年~903年)をお祀(まつ)りしている。
** 神社や寺院に参拝した証として受ける印影。
*** 新年に神社や寺院に参拝して、一年の無事や願いを祈る風習。
**** 日本固有の宗教・信仰。古代の自然信仰に始まり,人などに対する信仰も加わって氏神信仰へと発展。現在では、一般に神社を中心とする信仰や儀礼が、神道として認識されている。
***** 日本全国におよそ8万社(文化庁「宗教年鑑(令和2年)」による)ある神社を包括する組織。
****** 神社の入り口に建つ、神域と人間世界を区切る門。鳥居の先は神の領域であり、神聖な場所とされる。
******* 折り紙で作った鶴を数多く糸に通し連ねたもの。神社や寺院に奉納する風習があり、祈願の際に作られる。