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December 2023

折り鶴に込められた平和への祈り

  • 広島平和記念公園に建てられた原爆の子の像
  • 捧げられた千羽鶴
  • 禎子さんが薬の包み紙で折ったツル。お見舞いにきた同級生にあげたもの。寄贈:梅田頼子
    所蔵: 広島平和記念資料館
  • 禎子さんの折った折り鶴。未完成のものも。
    寄贈:佐々木繁夫・佐々木雅弘
    所蔵: 広島平和記念資料館
  • 像ができた頃に映画「千羽鶴」が制作。そのシナリオ。寄贈:大倉紀代 所蔵: 広島平和記念資料館
広島平和記念公園に建てられた原爆の子の像

広島県広島市は、1945年8月6日、人類史上、初めて原子爆弾が落とされ、多くの人命が失われた地だ。爆心地近くの公園には、折り鶴*を掲げた少女の像がある。なぜ折り鶴を掲げているのか。折り鶴にまつわるエピソードを聞いた。

折り鶴を掲げた少女の像は、「原爆の子の像」という。像のもとには、数多くの千羽鶴(せんばづる**)が納められた展示ブースが並ぶ。像の設立の経緯を広島平和記念資料館の中西利恵(なかにし りえ)さんに聞いた。

「原爆の子の像の建立のきっかけとなったのは、佐々木禎子(ささき さだこ)さんという少女です。彼女は、自身の被爆から十年後、小学校六年生で白血病を発症し、治ることを祈りながら、病床で折り鶴を折り続けて亡くなりました」

禎子さんが薬の包み紙で折ったツル。お見舞いにきた同級生にあげたもの。寄贈:梅田頼子 所蔵: 広島平和記念資料館

日本人にとってツルは長寿、縁起のよいものの象徴であり、また千羽鶴という形で心願成就、病気からの回復など願いを込めてきたものでもある。

禎子さんの折った折り鶴。未完成のものも。寄贈:佐々木繁夫・佐々木雅弘 所蔵: 広島平和記念資料館

「禎子さんの死にショックを受けた同級生たちは、禎子さんをはじめ原爆で亡くなった子どもたちのための慰霊碑を建立しようと全国へ募金を呼びかけました。禎子さんが亡くなってから3年後、1958年に平和記念公園内に像は設置されました」

原爆の子の像のもとに千羽鶴を納める展示ブースが並ぶ。千羽鶴のほか、折り鶴を題材とした作品も届けられる。

像が建てられてから、佐々木禎子さんと折り鶴の実話は次々と書籍や映画になったが、世界に広まるきっかけは、1977年にエレノア・コア著『サダコと千羽鶴』がアメリカで出版されたことだという。著者は当時のカナダの新聞の駐日記者だった。1990年代に入ってからも、この本を原作とした絵本"Sadako"がアメリカで出版され、ミュージカルにもなって上演された。さらには学校の授業で紹介されるなどしていった。そして、今でも多様な形で世界へと広がり語り継がれている。

「原爆の子の像」は、年間を通じて、たくさんの千羽鶴が捧げられていることから、別称「千羽鶴の塔」とも呼ばれている。

禎子さんの折り鶴が、平和を願う象徴の一つとして考えられるようになり、多くの方が共鳴し、原爆の子の像に捧げられるようになった。今でも年間一千万羽、約十トンの折り鶴が世界各地より届くという。

像ができた頃に映画「千羽鶴」が制作。そのシナリオ。寄贈:大倉紀代 所蔵: 広島平和記念資料館

近年、広島市ではこの世界各地から寄せられた折り鶴を、活用する取組を始めた。折り鶴をそのまま残すのではなく、折り鶴を昇華させる(=折り鶴に込められた思いを別の形にして他の人に伝える)方策、「折り鶴再生事業」を2012年(平成24年)度から本格的にスタートした。例えば、8月6日の原爆記念日に行われる灯籠流しの灯籠に、折り鶴の再生紙を使うといったように活用されている。

折り鶴にこめた思いは日本人、そして世界中の心に渡り、また新たな広がりへと進む。「日本を訪れた際は、広島にもぜひお越しいただき、世界中から寄せられた千羽鶴などを実際に目にし、また平和を願う思いにふれていただきたいです」と中西さんは話す。

捧げられた千羽鶴

* 1枚の正方形の紙を用いて、切らずに折るだけで様々な作品を作ることを折り紙といい、ツルの形に折ったものを指す。日本でもっとも一般的な折り紙作品。
** 折り鶴を、糸でつないで束状にしたもの。縁起のよいツルを千羽ほどたくさん揃えば、より願いがかなうとされる。長寿、成功、病気の治癒などを願う。