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September 2023

幹線道路の起点となってきた名橋・日本橋

  • 架橋から112年を迎える国の重要文化財でもある現在の名橋・日本橋(下の部分)
  • 歌川広重「東海道五十三次 日本橋 朝之景」
    Photo: 江戸東京博物館
  • 東京の羽田空港第3ターミナルに19世紀前半の日本橋をベースに二分の一のスケールで再現されたはねだ日本橋
  • 明治44年(1911年)架橋当時の日本橋
    Photo: 中央区立京橋図書館蔵
  • 橋に設置された麒麟像(左)と唐獅子像(右)
    Photo: 日本橋保存会
  • 昭和47年(1972年)に設置された、全国道の起点である日本国道路元標 Photo: 日本橋保存会
架橋から112年を迎える国の重要文化財でもある現在の名橋・日本橋(下の部分)

1603年に創建され、現在まで約420年にわたって、日本の幹線道路の起点となってきた東京都中央区の日本橋。その長い歩みと現在の保存活動について、日本橋保存会に話を伺った。

日本橋の創架は、徳川家康が幕府を開いた1603年と伝えられている。当時は木造の太鼓橋*で、翌年に幕府直轄の主要な五つの陸上交通路(東海道・中山道(なかせんどう)・甲州街道(こうしゅうかいどう)・日光街道(にっこうかいどう)・奥州街道(おうしゅうかいどう))の起点として定められた。日本橋保存会の福島深雪(ふくしま みゆき)さんに当時の日本橋の様子を伺った。

歌川広重「東海道五十三次 日本橋 朝之景」 Photo: 江戸東京博物館

「江戸市街の中心に位置した日本橋は、たもとの日本橋川沿いに活気のある魚市場が立ち並びました。また周辺に諸問屋も軒を連ねるなど、江戸随一の繁華な場所として栄えました。橋上が身動きできないほどの人で賑わっている様子が、多くの書物や錦絵(にしきえ)* *や草双紙(くさぞうし)***、浮世絵に残されています。また、東京の羽田空港第3ターミナルには、二分の一のスケールで、19世紀前半の木造の日本橋が再現されていますので、木造であった、かつての姿をイメージしていただけるかもしれません」

東京の羽田空港第3ターミナルに19世紀前半の日本橋をベースに二分の一のスケールで再現されたはねだ日本橋
明治44年(1911年)架橋当時の日本橋 Photo: 中央区立京橋図書館蔵

現在の橋は、約110年前の1911年竣工、橋長49m、橋幅28mの石造2連アーチ橋となっている。1999年に国の重要文化財となり、橋の中央には麒麟(きりん)像、両側の橋頭には唐獅子像が配された。

橋に設置された麒麟像(左)と唐獅子像(右) Photo: 日本橋保存会

「古代中国の想像上の動物で、仁徳ある王者や聖人が出現したときだけ人の目に触れるという伝説がある麒麟を、東京の繁栄を願って中央に配しました。また、橋頭に『百獣の王』である獅子を配して威厳を添えたとされます」

装飾品には青銅が用いられ、イルミネーションが施されるなど、当時の先端技術を駆使した非常に美しい橋が架けられた。

現在、橋の中心には全国道の起点であることを示す日本国道路元標(にほんこくどうろげんぴょう)が配されている。

昭和47年(1972年)に設置された、全国道の起点である日本国道路元標 Photo: 日本橋保存会

「現代の本州をつなぐ主要国道7路線の起点標でもあり、ここを出発地点として各地を旅する方も多くいらっしゃいます。また橋のたもとにある日本橋観光案内所では「御宿場印」や「国道一号線ステッカー」などを販売しており、記念に購入される方が多いです」

1963年に橋上に首都高速道路が開通するなど、高度成長期以降、周辺の街並みは大きく変化。それを残念がる有志により名橋「日本橋」保存会が発足した。現在も日本橋と交差する高架高速道路を地下に移設する等の方法により、日本橋の景観をよみがえらせるための活動を行っている。

「保存会が毎年行っている行事に「橋洗い」があります。地元町内会や周辺企業など、日本橋にゆかりのある人々が集まり、清掃活動を行っています」

毎年7月の第四日曜日に行なわれている「橋洗い」Photo: 日本橋保存会

現在まで多くの人に日本橋が愛される理由を教えてもらった。

「日本橋は天下の名橋であると同時に、周辺地域も含めて東京が近世から紡いできた文化の発信地の一つでした。今も周辺には歴史的にも価値の高いレガシーが残されています。日本を訪れた際にはぜひ立ち寄って、昔日の面影を感じてみていただきたいです」

* 太鼓の胴の形のように、まん中が半円形に反った橋。
** 18世紀後半以降にひろまった多色摺(ずり)の浮世絵版画。
*** 18世紀〜19世紀(江戸時代中期)に刊行されはじめた、かな主体の絵入り通俗読み物。