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February 2023

日本の冬の伝統行事

  • 小川直之・國學院大學文学部教授
  • 恵方巻き
  • ミカンがのった鏡餅
  • 男鹿のナマハゲ
  • 宮崎県高千穂町の神楽の舞
  • 長野県阿南(あなん)町の神社で行われる「新野(にいの)の雪祭り」で「幸法(さいほう)」という神に扮して舞う様子
小川直之・國學院大學文学部教授

國學院大學文学部教授の小川直之(おがわ なおゆき)さんに、日本の冬の伝統行事について話を伺った。

ミカンがのった鏡餅

日本人は、いつ頃を冬と認識しているのでしょうか。

地域にもよりますが、12月頃から2月頃までの気温の低い時期を冬と考える人が多いのではないでしょうか。現在、日本で使用している太陽暦では、冬がいつから始まりいつで終わるのかが定められているわけではありません。しかし、日本がかつて採用していた旧暦(太陰太陽暦)*では、冬は10月から12月までで、春が1月から3月までと決まっていました。旧暦の冬は、今の暦で言えば、だいたい10月下旬から1月中旬くらいということになります。また、季節変化の目安として、旧暦と併用されていた「二十四節気(にじゅうしせっき)」**では、現在の暦で11月7日頃の「立冬」から2月4日頃の「立春」の前日までが冬とされていました。立春以降は、寒さも次第に和らいでいく春の季節となるのです。

日本ではこの旧暦と二十四節気を基準にして、人々は四季折々の年中行事を行なってきました。現在でもそうした伝統が家庭や地域で受け継がれています。

冬に行われる行事を教えてください。

日本では、1月初めの「正月」には様々な行事が行われます。例えば、幸福を運ぶ年神様(としがみさま)を迎えるため、人々は“門松(かどまつ)”や“しめ飾り”といった正月飾りを、家の玄関、マンションや会社の入口に飾ります。門松は年神様を家に招くための目印となるもので、長さの異なる3本の竹のまわりに松の枝を配置したものが典型的です。松も竹も長寿を表す縁起の良い植物です。しめ飾りは年神様を迎える神聖な場所を示すためのものです。その形は様々ですが、稲わらをよって作った「しめ縄」に「紙垂(しで)」と呼ばれる白く細長い紙を垂れ下げたものが一例です。また、年神様へのお供え物として「鏡餅」と呼ばれる、丸い餅を乾燥させて固くし、通常二つ重ねたものを飾ります。

旧暦では満月の日である1月15日を中心とする「小正月」と呼ばれる時期には、農村漁村においてその年の豊漁豊作を願う行事が行われます。例えば、「鳥追い」は、農作物に害を及ぼす害鳥を追い払う歌を子供が歌いながら町内の家々を巡るというものです。年の初めに害鳥を追い払うことで、実際の農作時に被害に遭わないという願いが込められています。また、小さく丸めた紅白の餅を木の枝に付けた「餅花(もちばな)」を飾ります。これは、稲穂、あるいは繭(まゆ)に見立てたものと伝えられています。この他、正月飾りを燃やすことでその年の災厄を払う「どんど焼き」を行う地域もあります(参照)。どんど焼きは平安時代(8世紀末から12世紀末)から宮中で始まった、1月15日に「吉書」と呼ばれる儀礼的文書を焼く行事「左義長(さぎちょう)」が起源と言われています。

冬の行事では、どのようなものが食べられているのでしょうか。

古くから日本人にとってコメは最も重要な食べ物です。多くの伝統行事はコメの豊作を願って行われてきました。そのため、伝統行事ではコメを使った料理を食べることが多いです。例えば、正月には餅を食べるのが一般的です。餅を食べることで、年神様から力を頂くという意味があると考えられています。正月の料理の一つである「雑煮」は、醤油や味噌などで味付けした汁に、野菜や餅などの具材を入れて煮込んだものです。また、地域によって異なる日の場合もありますが、1月11日の「鏡開き」の日には、飾っていた鏡餅を割って、その餅を、小豆を砂糖で煮た汁に入れた「しるこ」などにして、食べます。

2月3日頃、立春の前日である「節分」には、豆をまくことで災厄を払う「豆まき」が行われます。この節分の日に食べるのが、「恵方巻き(えほうまき)」です。恵方巻きは、卵やキュウリなどの具材を海苔で巻いた円筒形の寿司です。「恵方」と呼ばれる、その年の縁起の良いとされる方角を向いて、切らずに丸のままを無言で食べると、良い一年になる、願いがかなう、あるいは、健康になると言われています。

恵方巻き

冬に行われる伝統芸能にはどのようなものが挙げられるでしょうか。

神に奉納する「神楽(かぐら)」が挙げられます***。現在、神楽の団体は全国各地で約4,500にのぼります。例えば、宮崎県は200以上の神楽の団体があり、様々な種類の神楽が地域住民によって受け継がれています。今年 5月、G7サミットが開催される広島県にも300に近い神楽の団体があり、公演活動を盛んに行っています。

神楽の団体の中には、神社などの会場で、通年、公演を行う団体もあります。ただ、もともと、神楽は主に冬に行われるものです。神楽は、10世紀から宮中で11月に行われていた「御鎮魂(みたまふり)」という儀礼の中で行われたのが起源と考えられています。日照時間が短くなるこの時期には、人間の活力が弱まるので、神楽を通じて神々の力を得て、新しい年に向けて活力を奮い立たせるという意味があったと考えられています。その後、神楽は13世紀頃から日本各地に広がりました。その中で、疫病を鎮める、あるいは農作物の豊作を祈願するといった願いを込めた神楽も、他の季節で行われるようになったと考えられています。

冬に行われる伝統芸能としては、コメの豊作を祈願する「田楽(でんがく)」もあります。春の田植えの時期には、実際に田植えをしながら笛や太鼓の演奏に合わせて女性が歌い踊るという田楽もありますが、冬に行う田楽は、稲作の作業をするさまが模擬的に演じられます。例えば、東京都板橋区で受け継がれている、「板橋の田遊び」は、1年にわたる稲作作業の様子を言葉、歌、所作(しょさ)で表現する田楽です。また、静岡県浜松市の「西浦(にしうれ)の田楽」では、田楽、神楽、能など様々な芸能が、月の出から日の出まで夜を徹して演じられます。これらの田楽は、いずれも国の重要無形民俗文化財に指定されています。

ユネスコ無形文化遺産に「来訪神:仮面・仮装の神々」として登録されている来訪神行事の中にも、大晦日(おおみそか)、正月、小正月など冬に行われるものがあります。これらの行事では、奇怪な面を被った、来訪神に扮した人々が、家々を訪れ、豊作祈願や厄祓(やくばらい)いを行なったり、良い人になるように子どもを諭したりします。例えば、鹿児島県薩摩川内市(さつませんだいし)の「甑島(こしきじま)のトシドン」、秋田県男鹿(おが)市の「男鹿のナマハゲ」、石川県輪島市(わじまし)の「能登(のと)のアマメハギ」などです。

男鹿のナマハゲ

冬の伝統芸能で注目すべき地域があれば教えてください。

神楽の保存・継承活動が盛んな宮崎県です。高千穂町(たかちほちょう)など県北部では11月から1月までの夜、そして、宮崎市など県中央部・南部では2月から5月までの昼に、それぞれ神楽が行われます。宮崎県の神楽の最大の魅力は、その多様性にあります。地域ごとに特徴をもった神楽が受け継がれているのです。

宮崎県高千穂町の神楽の舞

長野県南部の南信州でも、神楽や田楽などの伝統芸能が盛んです。例えば、12月には飯田市で行われる「遠山の霜月祭り(とおやまのしもつきまつり)」では、釜で煮えたぎらせた熱いお湯を神々に捧げるという神楽が神社で奉納されます。また、1月中旬に阿南(あなん)町の神社で行われる「新野(にいの)の雪祭り」は、豊作を願う田楽など様々な芸能が、夜通しで演じられます。

長野県阿南(あなん)町の神社で行われる「新野(にいの)の雪祭り」で「幸法(さいほう)」という神に扮して舞う様子

これらの県では、自治体、企業、住民が協力して、地域の伝統の保護・継承に取り組んでいることが、大きな特徴です。宮崎県と南信州では、伝統芸能への参加や鑑賞ために会社員が休暇を取ることを奨励する制度も整えられています。

日本の地方は少子高齢化、人口減少という課題に直面しています。地方において、持続的な地域社会を作るためには、人と人とのつながりを維持することがとても重要です。そのために、神楽などの伝統芸能が果たす役割は大きいです。伝統芸能には子供から高齢者まで、幅広い年齢の人が参加します。伝統芸能が様々な世代の人をつなげる契機となるのです。

冬、日本を訪れる海外の方にも、その土地ならではの、こうした神楽や田楽を見ていただきたいです。長い間、稽古を積んで習得される舞い手(舞を舞う人)の動きは、本当に美しいです。自分にため、地域の人々のため、そして、神々のために舞う姿は、涙が出るほど感動します。

* 旧暦(太陰太陽暦)は、月の満ち欠けの周期(29.5日)と太陽の周期をもとに作られる暦で、1872年まで日本で使われていた。2、3年に1度ずつ閏年(うるうどし)を置き、1年を13ヶ月とした。現在の暦とは1か月程度の差が生じる。
** 古代中国で考案された二十四節気(にじゅうしせっき)は、1年の太陽の動きを二十四等分し、約15日おきに季節を表す名前と付けたもの。
*** 神楽、田楽など日本の伝統芸能については以下参照 https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc27/index.html