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November 2022

沖縄の伝統工芸品「琉球ガラス」

  • 色とりどりの琉球ガラスのコップ
  • 泡盛を注いだコップ(イメージ)
  • 気泡が特徴的な琉球ガラス
  • 琉球ガラスの花瓶、テーブルウェア、花や果物
  • 現代の名工に選ばれた平良恒雄(たいら つねお)作「島景色」(しまげしき)(琉球ガラスの飾壷)
  • 琉球ガラス村の工房で琉球ガラスを作る職人
色とりどりの琉球ガラスのコップ

「琉球ガラス」は、気泡と沖縄県の島々の美しい亜熱帯の自然を想起させる色合いが特徴である。

気泡が特徴的な琉球ガラス

日本の南端、沖縄の美しい空や海、豊かに生い茂る草花の色彩を取り入れた琉球ガラス。1998年に沖縄県の伝統工芸品に指定されている。琉球とは、かつての沖縄の名称である。

沖縄でガラス製品づくりが始まったのは1900年頃だとされている。鹿児島県薩摩(さつま)地方のガラス職人がその技を沖縄に持ち込み、その後、大阪や長崎のガラス職人が移住し、その技に磨きをかけてガラスづくりが広まった。この頃には既に溶けたガラスを、吹き竿で空気を送り込んで膨らませて形を作る「吹きガラス工法」が取り入れられていたと考えられており、薬や菓子を入れる瓶などの日用品が作られていた。沖縄の中心都市である那覇市(なはし)を中心に、いくつものガラス工房がつくられ、それぞれの工房の職人の手によって趣向を凝らしたガラス製品が生み出されるようになったという。先の大戦時にガラス工房は壊滅的な被害を受けたが、戦後、生き延びた職人たちが結集して、再びガラス製品づくりに取り組むようになった。

泡盛を注いだコップ(イメージ)

戦後の沖縄は米国の施政下におかれ、駐留米軍やその家族らから日常的に使う器や自国に帰る際の土産物の注文が殺到するようになった。しかし、当時は、終戦後で様々な物資が不足しており、ガラスの原料(参照)不足も例外ではなく、製品づくりが追いつかない。そこで職人たちが目をつけたのが、米軍施設などで廃棄されたビールやコーラなどの大量の空瓶だった。これらを洗浄して溶解窯(がま)で溶かし、再びガラス製品として蘇(よみがえ)らせようと考えた。ところが、はがし切れなかったラベルなどの不純物が混入したため、仕上がった製品には、気泡が混入したものも多くあった。本来、気泡はガラス製品としては欠点であるが、むしろ、ユニークな特徴として受け入れられ、琉球ガラスの個性として浸透していった。

琉球ガラスのもう一つの特徴はその色である。その色は、原料となる廃棄されたガラス瓶の色がもととなっている。例えば、茶色はビール瓶、淡水色は一升瓶、緑色はジュースの瓶などである。その他、紫色には二酸化マンガン、深い青色にはコバルトといった着色料を調合して、沖縄らしい、亜熱帯の明るい、様々な色を生み出している。

琉球ガラスの花瓶、テーブルウェア、花や果物

近年では、食器類などの日用品だけでなく、装飾品などのアート作品などに、その用途は広がりを見せている。また、昔ながらの再生ガラスを原材料にするもののほか、ペットボトルなどの普及によって廃瓶自体が手に入らなくなったこともあり、通常のガラスと同様に珪砂(けいしゃ)、ソーダ灰、石灰などの調合によって作られるものや、気泡ができるような製法が編み出され、無数の気泡が入っている作品もあるという。

沖縄県内では現在、こうした琉球ガラスを購入したり、作ったりすることができる工場や観光施設が数多くある。その一つが、那覇市の少し南、沖縄県糸満市にある「琉球ガラス村」である。ショップでは1500種類以上の手作りの琉球ガラスが販売されており、工房では来場者自らが、職人のサポートを受けながら、オリジナルグラスを作ることができる。

現代の名工に選ばれた平良恒雄(たいら つねお)作「島景色」(しまげしき)(琉球ガラスの飾壷)

「琉球ガラスは、戦後の沖縄の復興や再生を象徴する品として広まり、多くの方々に愛されてきました」と琉球ガラス村を運営するRGC株式会社の川上英宏(かわかみ ひでひろ)さんは話す。「私たちはガラス工芸の先進都市であるベネチアの工房との技術交流などを経て、より高度な技法やデザインを取り入れた琉球ガラスをつくっています。今後、世界へと琉球ガラスの魅力を発信していきたいです」

沖縄の美しい自然を想起させる色合い、そして、気泡が独特の味わいを醸(かも)し出す琉球ガラス。ぜひ、沖縄特産の蒸留酒である泡盛*や沖縄料理とともに、その魅力を味わいたいものだ。

琉球ガラス村の工房で琉球ガラスを作る職人

* 米を原材料に黒麹菌を使って沖縄で造られる蒸溜酒。