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October 2022

日光東照宮・陽明門のきらびやかな美

  • 日光東照宮 陽明門
  • 陽明門に施された司馬温公の彫刻
  • 陽明門に施された数多くの彫刻
  • 陽明門に取り付けられた飾り金具(写真右上)
  • 陽明門に修理した金具を取り付ける職人
  • 陽明門の色彩豊かな彫刻を修理する職人
日光東照宮 陽明門

日光東照宮の「陽明門」は、24万枚余りの金箔で彩られたきらびやかな建造物である。

陽明門に施された数多くの彫刻

東京から鉄道を使った最短ルートで2時間ほどかかる栃木県日光市。日光市は神社や寺院が有名である。特に、芸術的、歴史的価値の高い103棟の社寺建造物群はその周辺環境とともに、1999年に世界文化遺産として登録されている。

中でも特に名高いのが、1617年、江戸幕府*の初代将軍・徳川家康(1543〜1616年)を祀る神社として創建され、1636年に三代将軍家光によって造替された「日光東照宮」の社殿群である。その多くには、金箔がふんだんに使用されている。特に目を引くのは、約24万枚もの金箔が貼られた国宝の「陽明門」である。陽明門は、間口約7メートル、奥行約4メートル、高さが約11メートルの規模を持ち、龍や鳳凰などの想像上の動物や、古代中国に由来する故事や聖人などをかたどった508もの精緻な彫刻が装飾されている。 “日本でもっとも美しい門”として知られ、いつまで見ていても見飽きないところから「日暮(ひぐらし)の門」とも呼ばれる。

陽明門を始め、日光東照宮の社殿群は、創建以来、大小21回に及ぶ修理が繰り返され、その美しさが維持されてきた。

「2017年、4年の工期を経て修理を終えた陽明門の美しさは、伝統技法により、以前の美しさが再びよみがえったと思います」と日光東照宮総務部の山作良之(やまさく よしゆき)さんは話す。

「例えば、各所に取り付けられた飾り金具(写真参照)の金鍍金は、現代の電気メッキとは違い、銅板に水銀を塗り、そこに金箔を貼り重ね、炎で炙(あぶ)ることで水銀を蒸発させて金を定着させるという、昔ながらの技法を用いて創建当時の姿を忠実に再現しました」

陽明門に取り付けられた飾り金具(写真右上)

陽明門には、鍍金金具や漆塗の木部にも一辺が10.9センチメートルの正方形の金箔が合わせて約24万枚使用されている。その厚さは、1万分の1ミリメートルと極めて薄いが、漆や膠(にかわ)を接着剤に用いて、丁寧な手作業により、1枚ずつ丹念に斑(むら)なく貼られている。2017年に終了した修理では、石川県金沢市で加工された金沢箔が全てに使用された(参照)。造営当時も同量の金箔が使用されたという。今回の修理では、劣化の進んだ古い塗装を掻(か)き落とし、新たに漆を塗って金箔を貼り直した。さらに、 動植物の彫刻や紋様が精彩を放つよう、要所要所に、金箔を貼り付けた上に岩絵具(いわえのぐ。天然の鉱物を原料にした日本の伝統的な絵の具)で彩色を施すという生彩色の技法が用いられている。風雨にさらされて表面の岩絵具がはがれても、下から金箔が現れ、違った美しさが見てとれるようになるという。

陽明門に修理した金具を取り付ける職人
陽明門の色彩豊かな彫刻を修理する職人

一方、陽明門に施された膨大な彫刻は、単なるデザインではなく、思想やメッセージが込められている。山作さんはとくに2階の欄干(らんかん)に施された彫刻“司馬温公の甕割り(しばおんこうのかめわり)”が重要だと言う。

陽明門に施された司馬温公の彫刻

「中国の北宋時代(960~1127)の学者、(しば おんこう、1019-1086)が幼少期、貴重な水甕に落ちてしまった友人を助けるため、石で甕を割って助けたという場面です。何よりも大切なものは人命であることを教えてくれています。家康公が目指した平和な世を実現するための心に通じる、象徴的な彫刻だと思います」

陽明門には、このほかにも、興味深い思想、メッセージが込められた彫刻がたくさんあるという。それらは、金箔を多用したきらびやかな黄金の輝きに、より深みを加えているようにも見える。

* 徳川家康が征夷大将軍に任じられた1603年以来約260年、15代続いた。