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July 2022

日本のあかり

  • 神奈川県横浜市のみなとみらい地区にある、復元されたガス灯(手前)
  • 明かりの灯された、青森県のねぶた祭りのねぶた
  • 藤原工さん
  • 13世紀から14世紀、奈良県の法隆寺の宝物で、反射板がついた灯台(高さ78センチメートル)(東京国立博物館所蔵)
  • 有明行灯(高さ300ミリメートル、幅230ミリメートル、 奥行き232 ミリメートル) (武蔵野美術大学美術館・図書館所蔵)
  • 小田原提灯(高さ42.5センチメートル)(江戸東京博物館所蔵)
藤原工さん

照明デザイナー、光文化研究家で株式会社灯工舎代表取締役の藤原工(ふじわら たくみ)さんに、日本のあかりの歴史や文化について話を伺った。

13世紀から14世紀、奈良県の法隆寺の宝物で、反射板がついた灯台(高さ78センチメートル)(東京国立博物館所蔵)

日本におけるあかりの起源となる照明器具はどのようなものでしょうか。

19世紀に白熱電球などの近代的な照明器具が普及するまで、日本を含め世界のほとんどの国・地域では、火を燃やすことであかりを生み出していました。最初は木や植物、次に油、そしてその後、ろうそくであかりを作りました。

日本では、遅くとも飛鳥時代(6世紀末〜8世紀初め)に、油を燃料とするあかりが使われるようになったと考えられています。その頃に使われ始めた照明器具が「灯台(とうだい)」です。植物の種を絞ったり、魚を煮たりして作る油を入れた「火皿」に、イグサという植物の茎の髄から作る「灯芯」を浸します。そして、油を吸った灯芯に火をつけてあかりを灯すのです。灯台の一種である「高灯台(たかとうだい)」は、火皿を支える柱の高さが75〜90センチメートルで、部屋の照明として使われました。

油を燃料とする灯台のあかりは風が吹くと簡単に消えてしまうので、風よけのための工夫も施されるようになります。例えば、奈良県の法隆寺の宝物で、13〜14世紀に作られたと考えられている灯台には、丸い反射版が付けられています。この反射板は、風よけとしてだけではなく、光を反射させる役割もあります。

また、柱の高さ30〜45センチメートルの灯台も作られました。西洋文化が広まる明治時代(1868〜1912年)以前は、一般的に日本人は室内で椅子を使わず、木の床、あるいは畳に座って、作業や食事をしていました。しかし、高灯台では座っている人の手元を明るく照らすことができません。そこで、手元を明るくする照明器具として、柱の低い灯台が使われるようになったのです。その後も、日本の気候、生活、文化に合わせた多種多様な照明器具が生み出されていきます。

日本では他にどのような照明器具が作られたでしょうか。

17世紀初頭から約260年間、大きな戦乱が起こらなかった江戸時代は、日本のあかり文化が花開いた時代と言えます。様々な新しい照明器具が普及し、人々の生活があかりで彩られるようになりました。そうした照明器具の一つが「行灯(あんどん)」です。行灯は、灯台と同様に油を燃料としていますが、風よけのために「火袋(ひぶくろ)」で火皿の周囲を囲んでいるのが特徴です。火袋には、江戸時代になって一般にも普及した「和紙」が貼られています。行灯の中の光が和紙に反射することで火袋全体が明るくなります。そのため、行灯のほうが灯台よりも、明るく感じるのです。和紙を通して広がる、あたたかく、やわらかな光は、人に安心感を与えます。

行灯には様々な種類がありますが、その一つに「有明行灯(ありあけあんどん)」があります。明け方でも見られる月のことを「有明月」と呼ぶことから、この名前が付いたと言われます。有明行灯は、側面が満月や三日月の形に切り抜かれている木の箱の中に、火袋が入ったものです。起きている時間は、部屋を明るくするために、火袋を取り外し、箱の上に載せます。就寝時には火袋を箱の中に戻し、月の形に切り抜かれているところだけから光が漏れるようにします。こうすることで、明るさが調整できたのです。こうしたアイデアに、日本人のあかりに対する強いこだわりを感じることができます。

有明行灯(高さ300ミリメートル、幅230ミリメートル、 奥行き232 ミリメートル) (武蔵野美術大学美術館・図書館所蔵)

その他、江戸時代には、ウルシやハゼといった植物を原料とする「和ろうそく」が普及したので、和ろうそく用の照明器具も作れるようになりました。その一つが提灯(ちょうちん)です。提灯は、竹ひごの骨組みに和紙を貼り、その中にろうそくを入れて火を灯して使うものです。折り畳めるので、持ち運びも簡単です。ほとんど街灯のない江戸時代、提灯のおかげで、人々の夜の行動範囲が一気に広がりました。

最も有名な提灯の一つ「小田原提灯」は、江戸(現在の東京)と京都を結ぶ東海道の宿場町である小田原(現在の神奈川県小田原市)に住んでいた職人が、旅行者の携帯用として考案したと伝えられています。火袋の上下に付いている蓋を合わせると、(アコーディオンのように)折り畳まれた火袋が蓋の中にすっぽりと収まる構造になっています。江戸時代、一般の人々の間で旅行がブームとなります。提灯はそうした旅行にはなくてはならないものでした。

小田原提灯(高さ42.5センチメートル)(江戸東京博物館所蔵)

提灯は今もお祭りの会場や居酒屋の外など色々な場所で見ることができます。時代は変わっても、提灯は日本のあかり文化を象徴するものと言えるでしょう。

近代化が進む明治時代以降、日本のあかりはどのように発展したでしょうか。

明治時代には、西洋から様々な器具や技術が伝わり、日本のあかりは大転換期を迎えます。1872年に横浜で日本初のガス灯が設置されます。常設の街灯がそれまでほとんどなかった日本で、ガス灯は日本の近代化の一つの象徴となりました。1882年には東京の繁華街、銀座で、電気の放電を利用したアーク灯の街灯が日本で初めて灯ります。また、家庭では、行灯や提灯よりも明るく、使いやすい石油ランプが普及しました。

こうして日本のあかりが大きく変わる中、1879年にアメリカのトーマス・エジソンが世界で初めて実用的な白熱電球を完成させ、京都の竹を、電気を通して発光させるフィラメントの材料として使い、製品化しました。

白熱電球は世界に広まり、世界のあかりは白熱電球に置き換わっていきます。日本でも1887年に東京で一般向けの電気供給が始まったことが契機となり、街灯や家庭の電灯として白熱電球が使われるようになります。

電灯が広がる中、日本人も様々な技術を開発し、その発展に大きく貢献しました。その中には世界初の発明もあります。例えば、1921年に発明された二重コイル電球です。らせん状に巻いたフィラメントを、さらにらせん状に巻いて「二重コイル」にすることで、電球はより明るくなりました。続いて、1925年には、内面つや消し電球が発明されます。電球のガラスの内側をつや消しすることで、まぶしさを抑えた柔らかく優しい光となりました。

近年では、長寿命で発光効率の高い発光ダイオード(LED)*や、薄くて軽く、曲げられるディスプレイを可能にする有機EL**といった技術の開発にも、日本の研究者や企業が大きく貢献しています。LEDについては、赤﨑勇名城大学教授、天野浩名古屋大学教授、中村修二カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の3名が、高効率の青色LED***を開発した功績で2014年にノーベル物理学賞を受賞しています。

神奈川県横浜市のみなとみらい地区にある、復元されたガス灯(手前)

コロナ収束後となりますが、海外から来日される外国の方々に、どのような日本のあかりを見てほしいとお考えでしょうか。

全国各地の伝統的なお祭りでは、様々なあかりを楽しむことができます。例えば、青森県で夏に開催されるねぶた祭り****では、武士、神話や歴史的な人物を模した色鮮やかに光る巨大な「ねぶた」が人々に担がれ、街を練り歩きます。石川県の能登半島各地で夏から秋にかけて開催されるキリコ祭り*****では、あかりを灯した背の高い直方体の灯籠「キリコ」が、祭りを彩ります。

明かりの灯された、青森県のねぶた祭りのねぶた

また、日本には美しい夜景を楽しめる場所が多くあります。日本の夜景スポットは、高いビルからだけではなく、山の上も多いということが一つの特徴です。函館や長崎など、山の上から眺める夜景はおすすめです。

その他、自然の光にも目を向けてほしいです。日本で古くから愛(め)でられてきたのが月明かりです。春であれば、月明かりに照らされ、ほのかに明るくなる満開の桜が素晴らしいです。この光の効果は「花あかり」として知られます。冬であれば、雪景色の中のかまくら******です。かまくらの中に灯されるあかりと、月明かりでおぼろげに光る白い雪が美しい光景を生み出します。この光の効果は「雪あかり」として知られます。

日本の伝統的な家屋や寺院では、日の出から日の入りまで、障子を通して差し込む光、そして陰影が刻々と変わっていきます。屋内の屏風絵や襖絵(ふすまえ)も、光の当たり方によって印象も異なります。そうした、自然の光によって生まれる変化も感じてほしいです。

* 発光ダイオード(LED)は、電流を流すと発光する半導体の一種。室内外の照明、テレビ、スマートフォン、自動車のライトなど様々な製品に使われている。
** 有機ELは電圧をかけると有機物が発光する現象。この現象を利用したデバイスはOLED (Organic Light Emitting Diode)と呼ばれる。
*** 1980年代までに、赤や黄緑などの色のLEDは実用化され、インジケーターなどの機器に使われていた。その後、1993年に青色LED、1996年に白色LEDが完成すると、LEDが照明として広く使われるにようになった。
**** Highlighting Japan 2011年9月号「東北の夏祭り」参照 https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/201109/201109_03j.html
***** Highlighting Japan 2016年8月号「灯り舞う半島」参照 https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/201608/201608_13_jp.html
****** Highlighting Japan 2022年1月号「横手の雪まつり」参照 https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202201/202201_03_jp.html