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May 2021

太宰府天満宮の庭園での「曲水の宴」

曲水の宴で和歌を詠む参宴者

日本において王朝文化が栄えた平安時代(8世紀末~12世紀末)の宮中行事を再現する宴が福岡県の太宰府天満宮にある庭で催されている。

曲水の宴で和歌を詠む参宴者

福岡県太宰府市の太宰府天満宮は、「学問の神様」として知られる菅原道真(845~903)を祀る。創建は905年であり、919年に道真の墓所の地に社殿が建立された際、池のある広大な庭園が造営されたという。

「太宰府天満宮の全体の庭は“廟前庭園”です。当時の朝廷で大臣の地位にあったものの、身に覚えのない罪によって大宰府に突如左遷され、この地でご生涯を閉じられた、菅原道真公の魂を鎮めるためのものです」と、道真を手厚く葬った門弟、味酒安行(うまさけ・やすゆき)の42代目子孫、味酒安則(みさけ・やすのり)さんは言う。

その道真は、当時を代表する歌人(日本の伝統的な定型詩「和歌*」の詠み手)としても知られる。道真が詠んだ一首は『百人一首**』にも収められ、今も詠み継がれている。

曲水の宴での巫女舞

そんな歌人としての道真にまつわる庭で催される伝統的な宴がある。庭は、本殿の東の地に、美しい曲線を描く小川が流れる「曲水の庭」だ。そこでは、例年、道真が愛した梅の花が咲き誇る3月の第1日曜日に、平安時代の宮中行事を再現した「曲水の宴」が催される(新型コロナウイルス感染症の影響で2021年は中止)。まず、伝統的な舞の披露がある。そして、当時の宮廷装束に身を包んだ歌を詠む参宴者が小川のふちに座る。参宴者は、上流からお盆に載って流れてくる酒盃が自分の前に到達する前に、満開の梅に関する和歌を詠んで、短冊に墨書きする。そして、流れてきた酒盃を取って、お酒をいただく。その後、和歌を書いた短冊を担当の童(わらべ)に託する。

958年に道真鎮魂のために始まった宴は、15世紀後半頃から近代まで途絶えていたが1963年に復活した。1970年代後半には、近隣の森から清らかな水を引いて現在の本格的曲水の庭が造られた。

太宰府天満宮の心字池

「曲水の宴には、水の精霊の力によって自分についた悪霊を祓い、身と心を清めるという意味がありました。疫病の流行に人々が苦しめられた平安時代、水の力によって病気のもとを祓うという願いも込められていました」と味酒さんは説明する。

古(いにしえ)の雅な宮廷の様子が再現される舞台となる庭は、宴が催される頃、約6000本の白梅や紅梅が咲き誇り、一年で最もはなやぐ時を迎える。

* 原則31音で詠(よ)み、「五・七・五・七・七」の五つの句で構成する日本の古典文学。
https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202010/202010_02_jp.html
** 百人一首は100人の歌人の100首の短歌を選び集めた日本の古典的な歌集
https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202010/202010_03_jp.html