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INDEX

  • 灘の酒
  • 灘五郷の酒造りで定番の米、山田錦
  • 宮水の水源である六甲山からの景色
  • 宮水が発見された場所にある石碑
  • 灘の酒蔵の内部

April 2021

灘の酒

灘の酒

兵庫県南東部の灘五郷(なだごごう)は、日本で最も日本酒生産量が多い地域である。この地は日本酒を造るのに欠かせない米や水、技術に長(た)けた職人に恵まれていることで知られる。ここにある、多くの酒蔵で造られる日本酒は、一般に「灘の酒」と呼ばれている。

宮水の水源である六甲山からの景色

兵庫県の神戸市と西宮市にまたがる灘五郷は、およそ700年、酒造りが行われてきた。灘五郷とは、西郷(にしごう)・御影郷(みかげごう)・魚崎郷(うおざきごう)・西宮郷(にしのみやごう)・今津郷(いまづごう)という5つの郷(ごう)(小さな村の集合体を意味する)の総称である。南は大阪湾、北は六甲山地に沿って東西約12キロメートルに及ぶ地域には、日本を代表する酒造メーカーを含めて、現在も26の酒蔵が点在している。灘五郷で造られる日本酒は、国内出荷量の実に約24パーセントを占め(2020年:灘五郷酒造組合調べ)、日本一を誇る。2018年には、「灘五郷」は日本政府から地理的表示(GI)を指定されている。

宮水が発見された場所にある石碑

「灘五郷で酒造りが開始されたのは、14世紀ですが、酒蔵が次々と創業し、酒造りが本格化したのは17世紀です。背景としては、大阪湾に面した地域で船運の便が良く、お酒の一大消費地であった大阪や江戸(現在の東京)にも出荷しやすかった地の利がありました。さらに、酒の原料となる良質な酒米を容易に手に入れることができるようになるとともに、水車を使って、大量の米を精米することが可能となり、良質な酒の生産条件が整ったことがありました」

こう話すのは灘五郷酒造組合の常務理事、壱岐正志さんである。

このほか、灘五郷は酒造りにおいて、とても重要な地下水と杜氏(とじ又はとうじ)にも恵まれていたと壱岐さんは言う。

灘五郷の酒造りで定番の米、山田錦

1840年頃、灘の蔵元は、酒造りに適した中硬水の地下水を見つけた。この地下水はやがて「宮水」(西“宮”の“水”)と呼ばれるようになりを、灘五郷の酒のおいしさの決め手となっていった。また、灘五郷で酒造りを担ったのは日本三大杜氏に数えられる、丹波杜氏である。丹波杜氏は農閑期に雪深い丹波地方の篠山地域(現在の兵庫県東部)から出稼ぎに来る職人集団で、勤勉で誠実な彼らは、醸造技術に長けていた。そして、宮水の特性を生かす醸造法を丹波杜氏が確立し、品質が一層向上したことで、灘五郷の酒の評判が高まっていくことになったのである。

18世紀になると、灘五郷で造られた酒の多くは目の前の港から樽廻船(たるかいせん)で、当時最大の都市、江戸に向けて盛んに出荷されていった。

灘の酒蔵の内部

「比較的短期間で発酵が進む灘五郷の酒は、春の新酒の間は舌触りがどことなく荒々しいが、ひと夏超すと酒質に丸みが出て飲みやすくなります。これを秋晴れとか秋上がりといいます。 灘の酒は非常にバランスが良い味わいであることから、和牛ブランドの代表の一つ、神戸牛のステーキを始め、寿司、あるいは、様々な土地の名物料理と一緒に楽しむことができます」と壱岐さんは言う。

近年、日本酒が海外で人気を集めているが、灘五郷では、既に、数十年前から輸出に取り組み、中国、韓国などの国々で販路を確立してきた。また、神戸周辺を訪ねる外国人観光客には、酒蔵が観光名所として、非常に高い人気を集めている。現在、灘五郷には、見学ができる酒蔵が16あり、灘五郷の歴史や、実際の酒造りの現場を見学できる。造りたての酒を試飲したり、購入ができる。新型コロナウイルスの感染拡大が収束し、機会があれば、酒蔵を巡り、それぞれの味の違いを楽しんでみるのも良いかもしれない。