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  • 倉敷美観地区
  • 倉敷美観地区を運航する川舟
  • 大原美術館
  • ポール・ゴーギャン『かぐわしき大地』(1892年)

December 2020

伝統的な街並みと美術館が映える美観地区

倉敷美観地区

江戸時代には商業、明治時代には繊維産業の町として栄えた岡山県倉敷市。その足取りを遺す地区は今、美しい街並みと美術作品を鑑賞できる街としても知られている。

倉敷美観地区を運航する川舟

17世紀、江戸幕府が直接治める「天領」となった倉敷(現岡山県倉敷市)は、物資が集積する商人の町となった。多くの船が航行した倉敷川沿いには、白漆喰仕上げの町家や土蔵が並び、その白壁が水面に映り込む風情が印象的な美しい街並みが形成された。倉敷市は1969年に中心地域一帯を「美観地区」として条例で保存を決め、さらに1979年には国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。

現在の倉敷美観地区は、地場産業を代表する倉敷デニムなど地元ブランドを扱う店や、町家を改装したカフェ、柳の木、橋、寺社仏閣、大原孝四郎 (1833年〜1910年)によって建てられた倉敷紡績所の面影を残す赤煉瓦の施設群が集まり、大勢の観光客が訪れる。美観地区を流れる倉敷川を行く川舟から街並みを楽しむ人も多い。

この美観地区のシンボルが大原美術館である。1930年、倉敷の繊維産業を育て上げた、大原孝四郎の三男である実業家大原孫三郎(1880年~1943年)によって創設された。ギリシャ神殿風の外観が伝統的な街並みにマッチしている。同館では、印象派から現代に至るまでの西洋美術、エジプト古代美術、日本近現代美術など約3000点の幅広い美術品を収蔵している。ポール・ゴーギャンのタヒチ時代の代表作品『かぐわしき大地』(1892年)など有名な西洋絵画が展示されている一方、米蔵を改装した工芸館と東洋館では、日々の生活に根差した民具に美を見出した「民藝運動」を主導した作家の作品や、東洋の古美術品も展示されている。美観地区の中でも外国人観光客に特に人気が高く、文化庁は美観地区の文化、観光を推進する拠点として文化観光の推進拠点に認定し、整備を後押ししている。

大原美術館

公益財団法人大原美術館で学芸統括を務める柳沢秀行さんは、大原美術館の成り立ちについてこう語る。

「大原孫三郎は、病院や研究所、孤児院の支援といった公益性の高い事業にも取り組んだ人物でした。そのため、私たちのコレクションは、一部の好事家のためではなく、最初から多くの人々が鑑賞できるよう、一般公開を前提として収集されたものでした。収蔵品の中核をなす初期のコレクションは、孫三郎の援助を受けてヨーロッパに留学をしていた洋画家の児島虎次郎(1881年~1929年)によって、パリを拠点に、西欧各地で買い集められました」

たとえばモネの代表作「睡蓮」は、晩年の本人から児島が直接購入した。また、エジプトや西アジアの古美術品も児島によって収集されたものである。

「児島虎次郎は、当時の新しい現代美術を集めるだけではなく、過去に遡り、国境を越え、様々な文化がお互いに影響し合っている様をとらえようとしました。大原美術館は彼の意志を受け継ぎ、同時代のアートシーンに目を配りながら、“古今東西様々な文化を受け止める器”としてコレクションを続けてきました」

ポール・ゴーギャン『かぐわしき大地』(1892年)

江戸時代から交易の拠点として多くの人々が出入りし、栄えた倉敷には異文化や価値観を受け入れるベースがあり、大原美術館の多様なコレクションにもつながっていると柳沢さんは語る。

「倉敷美観地区の街並みは、江戸時代の風景がそのまま保存されているのではなく、明治時代以降の近代建築が巧みに混ざっています。異なる建築様式を排除するのではなく、時代ごとの新しい価値観を取り込んで出来上がった風景なのです。この街並みは、倉敷の重要な資源です」

美観地区では、時代ごとに栄えた産業を偲(しの)ばせる街並みと建物だけではなく、それらを誇りとして大切にしてきた人々の心意気も残されている。