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  • 境内の杉やヒノキの巨木
  • 高床式の穀物倉
  • 木造棟札

September 2020

日本最古の神明造様式の神殿建築

仁科神明宮

日本の高峰につながる山の麓に国宝「仁科神明宮」がある。その建築は古代の様式を今日に引き継ぎ、美しい森の中、威厳あるたたずまいを誇っている。

桧皮葺の本殿の屋根

長野県の北西部に位置する、人口2万7000人ほどの大町市は、周囲をぐるりと山に囲まれ、3000メートル級の高峰が連なる飛騨山脈、通称日本の「北アルプス」への登山や観光の玄関口になっている。国宝の仁科神明宮は、この町の丘陵地帯に建っている。

仁科神明宮の創建時期は明らかではないが、900年以上の歴史があると考えられている。かつてこの辺りは、日本の神社で最も格式の高い伊勢神宮への麻と和紙といった供え物を調達する「御厨(みくりや)」という土地だった。

境内の杉やヒノキの巨木

仁科神明宮は、伊勢神宮と同じく日本神話上の太陽神・天照大御神を祀り、社殿は神明造(しんめいづくり)という様式で建てられており、その原型は、日本古代の高床式の穀物倉(お米などの穀物を貯蔵する倉庫)にあると言われている。これは、風通しを良くして湿気を防ぐために床を高くした特徴的な造りで、日本では弥生時代に定着した。建材には日本の木造建築では最高級の材料の一つであるヒノキが用いられ、その木肌そのものの美しさを生かした簡素で、直線を活かした様式が特徴になっている。このうち本殿と中門、そして、この二つをつなぐ釣屋が、日本最古の神明造様式の建築として国宝に指定されている。

仁科神明宮を守る氏子総代を務める宮崎栄介さんは「ここ仁科神明宮でも、伊勢神宮と同じように20年に一度、式年遷宮が行われてきました。その詳細を記録した木造棟札が、1376年のものから35枚全て残っているのですよ」と言う。

高床式の穀物倉

式年遷宮とは、神社の社殿などを定期的に決まった建築様式で隣接する敷地に建て替え、御神体を新しくなった建物にお迎えする(遷す)行事である。伊勢神宮では1300年以上前から行われてきた。

「戦争や災害があっても決して途切れることなく、これほど長い間式年遷宮を続けているのは、全国でも例がないことなのです」と宮崎さんは胸を張る。

仁科神明宮の木造棟札のうち、近代以前の27枚は国の重要文化財に指定されていて、そこに残された記録から、江戸時代初期に行われた1636年の式年遷宮を最後に、社殿の全面的な建て替えは行われていないことも分かっている。本殿、中門、釣屋という3つ建造物は、屋根の葺き替えと傷んだ部分の修理を行っただけで、今から400年近く昔に建てられた当時の建物がそのまま維持されてきたのである。

木造棟札

2019年11月、仁科神明宮で20年ぶりの遷宮祭が行われた。本殿の主要な部分はそのままだが、屋根は、薄く剥いだヒノキの樹皮を幾重にも重ねていく桧皮葺(ひわだぶき)という技法で葺き直され、破損した部分も修理された。こうして社殿は美しい姿によみがえって、仮のお宮に移動していた御神体を本殿の定位置に再び迎えることができた。

約2万平方メートルという広大な境内を誇る仁科神明宮の周りは、樹齢約1000年と推定される杉2本を始めとして、杉やヒノキの巨木が天を突くようにそびえ立った深い森である。この森は、近年、その神秘的なたたずまいから運気を高めるパワースポットとして、若い女性などの人気を集めている。そんな深い森の中に厳かにたたずむ仁科神明宮は、交通の便があまり良くないにもかかわらず、年間約3万人の参拝者が訪ねてくる祈りの地となっている。