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  • 羽黒山山頂へと向かう参道
  • 五重塔の「組物」
  • 羽黒山五重塔

May 2020

神々の山の五重塔

羽黒山山頂へと向かう参道

山形県の出羽三山は古くから修験道の霊山として信仰を集めてきた。その山中、約650年前に建立された木造建築の羽黒山五重塔は、杉の老木に囲まれてそびえ立ち、自然と一体になった素朴な美しさで訪れる者に安らぎを与えている。

五重塔の「組物」

山地が国土の4分の3を占める日本では、山を神々が宿る神聖な場所として崇拝する山岳信仰が古くから行われてきた。平安時代になると、山岳信仰と大陸伝来の仏教や道教などの宗教が結びついた「修験道(しゅげんどう)」が成立し、全国各地に広がっていく。修験道の霊山とされる山々では、修験道の行者である「山伏」が厳しい修行を行った。

山形県の中央部に連なる出羽三山は、代表的な霊山の一つである。出羽三山は羽黒山、月山、湯殿山、という3つの山の総称で、その歴史は6世紀末に崇峻天皇の皇子である蜂子(はちこ)皇子が修行したことに始まると伝えられる。出羽三山では、羽黒山で現世利益を得て、月山で死後の世界を体験し、湯殿山で新たな命を得て生まれ変わるという信仰が形作られていった。こうした信仰は諸国を巡る山伏を通じ人々に広がり、江戸時代には全国から多くの参拝者が出羽三山を詣でるようになった。17世紀の名高い俳人、松尾芭蕉もその一人で、芭蕉は「涼しさや ほの三か月の 羽黒山」という句を残している。

その羽黒山の麓に立つのが、東北にある仏塔で唯一国宝に指定されている羽黒山五重塔である。仏塔は、6世紀に中国から仏教が伝来すると、当時の都があった奈良や京都で建てられるようになり、仏教とともにやがて各地に広がった。

羽黒山五重塔

伝承によれば、羽黒山五重塔は10世紀に創建され、現在の塔は1372年の再建と考えられている。五重塔は、出羽三山の入口となる随神門を通り、かつて参拝者が身を清めた秡川(はらいがわ)を渡り、羽黒山の頂上へと向かう参道の脇、樹齢300年以上の杉並木の中に立っている。その高さは約29メートル、建物に色彩や装飾を施さない「素木造り」が大きな特徴である。

「杉に囲まれた五重塔は、まさに自然と一体化しています。長い年月にわたって風雪にさらされた白い木肌が、素朴な美しさを生み出しています」と出羽三山神社歴史博物館の学芸員、渡部幸さんは話す。

塔は杉と欅の木で組み立てられており、木材と木材のつなぎ目には、時間が経ち乾燥するほど、しっかり縛り上げる性質を持つ藤蔓で固定されている。金属のくぎは一本も使われていない。五層の屋根は、杉の薄い板を何層にも重ねる「杮葺(こけらぶき)」という技法で葺かれている。屋根の四隅が微妙に上方に反り、軒が深く造られている。この五重塔は、風雪から柱や壁を守る深い軒を支える「組物」も特徴的である。幾つもの木材が複雑に組み合わされた組物は、塔を強固にするだけではなく、装飾的な美しさも見せている。

羽黒山周辺は冬には1メートル以上の雪が積もる。そうした厳しい自然環境に立ち続ける五重塔は、繰り返し補修が行われ、今に受け継がれている。

「山伏、そして、人々の厚い信仰心があったからこそ、長い間にわたって五重塔が守られてきたのだと思います」と渡部さんは話す。「観光客の方の中にも、五重塔の前でじっと、長い時間を過ごす人もいらっしゃいます。自然に包まれてたたずむ五重塔を見ると心が落ち着くと多くの方が言います」

神々が宿る山に静かに立つ五重塔は、自然と深くつながってきた出羽三山の信仰とその歴史を表すシンボルと言える。