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March 2020

贈り物を華やかに彩る「水引」

長野県飯田市では、和紙で作る飾りひもである「水引」作りの伝統が、江戸時代から受け継がれている。

水引とは、金封(冠婚葬祭で金銭を包む封筒)や贈答品、寺社が出す護符などに付けられる紙の飾りひものことで、その結び方や色の組み合わせにより、慶弔様々な場面で使われている。素材となるのは和紙で、細く切った紙をこより状にしてのりで固めた後、染料で染めたり、金銀の薄紙を巻くなどして美しく仕上げる。近年は飾りひもとしてだけでなく装飾品や髪飾りなどにも用途が広がっている。その水引の国内における生産量の約7割が長野県飯田市で生産されている。

飯田水引協同組合の理事長、岩原克典さんは「水引の起源は今から1400年以上前まで遡ると言います。中国大陸に派遣された遣隋使が日本へ帰国する際に、同行した随の答礼使が携えてきた天皇への贈り物に、海路の無事を祈って紅白の麻ひもが結ばれていたそうです。以来、宮中への献上品は紅白の麻ひもで結ぶようになり、それが水引の原型になっていきました」と説明する。

長野県の南部に位置し、南アルプスと中央アルプスに挟まれた飯田市は、和紙の原料となる楮(こうぞ)や三椏(みつまた)といった植物が豊富に育ち、紙すきに欠かせない清れつな水にも恵まれていた。古くからこの地で作られる和紙は丈夫で水にも強いと評判で、江戸時代の寛文年間(1661年~1673年)の頃になると、特産の和紙を使って日本の伝統的な髪型で髪を束ねたり結ったりして、頭上に髪を束ねるまげの根元を束ねるひもである「元結」が盛んに作られるようになった。さらに元禄年間(1688年~1704年)には、櫻井文七という人物が、丈夫な上、白い光沢が美しい元結を作り出し、“文七元結”の名で江戸(現在の東京)の店で売り出したところ大人気になった。

「文七さんのお陰で飯田の元結は全国にその名を知られるようになりました。ところが、1868年の明治維新後、新政府の断髪令によって男はまげを結うことがなくなり、元結の需要は激減してしまいます。そこで飯田の人々が元結の技術を応用して新たに作り始めたのが金封を飾る水引だったのです。やがて水引を使う製品は、結納品や正月飾りなどバラエティを広げてゆき、飯田の地場産業として大きく成長していくことになりました」

岩原さんによると、こうした飯田水引の発展を支えてきたのは、主にこの地方の農家の人々だったという。水引の製作には色とりどりの紙ひもを作るだけでなく、目的に合わせて結び上げていく二次加工が不可欠である。農閑期の内職として、こうした手仕事に携わる人々が最盛期には5000人から6000人もいた。

ところが、近年は人件費の高騰や人手不足のため、地元では伝統技術の継承が危惧されている。こうした問題を解決するため、飯田水引協同組合ではイヤリングやコサージュといった新たなジャンルの商品を開発したり、小学校で水引作りの体験授業を行うなど、様々な取組を行っている。そうした中、2014年以来毎年開催されている水引コンテストも人気を集めている。コンテストには、ブレスレットや髪留めなどのアクセサリー部門、ワインボトルやお菓子などの贈答品に添えて高級感を付加するギフト部門、それ以外の芸術部門があり、国内ばかりでなく海外からも、水引の可能性を広げるようなアイデアに富んだ数多くの作品が寄せられている。

「水引の結び目は、人と人、心と心を結ぶものであり、そこには相手を大切に思う気持ちが込められています。こうした水引の文化を海外にも広めていきたいのです」と岩原さんは話す。

今後は、水引を手軽に作れるキットの普及や、水引の技能検定の実施などを通じて、水引の魅力を国内外へと発信する計画も進行中だという。