Skip to Content

INDEX

February 2020

美しい星空を再現する

創業約100年を誇る日本メーカーのプラネタリウムが、今も国内外で美しい星空を映し出し、人々を魅了している。

1910年、約75年周期で太陽の周りを公転するハレー彗星が地球に最接近した。この時、高知県で暮らしていた19歳の五藤齊三は、星空に広がるその光景に興奮を覚え、天体への関心を深めていった。彼は1926年に個人経営として五藤光学研究所を東京で創業し、一般向け望遠鏡の開発・販売を始めた。

「当時、天体望遠鏡は非常に高価で、天文台などの大きな研究機関でなければ持つことはできませんでした。しかし、齊三の作った物は小型ながら十分な性能を持ち、その上、低価格であったため注文が殺到したと聞いています」と、現在同社の社長で、齊三のひ孫に当たる五藤信隆さんは話す。

同社の天体望遠鏡は、学校の理科教材にも採用され、一時は国内シェアの8割を占めたこともあったが、齋三は1950年頃から全く新しい製品の開発を模索し始める。

「我々のような中小企業は、大量生産では大企業に太刀打ちできないという危機感が曾祖父にはあったのかもしれません。そんな時に海外視察先のアメリカで出会ったのがプラネタリウムだったのです」と五藤さんは言う。

当時、プラネタリウムを製造していたのはドイツの有名な光学機器メーカー1社だけであった。しかし、1959年に完成した「レンズ投映式中型プラネタリウム」は既存のドイツ製品と同等の性能を持ち、しかも価格は十分の一程度に抑えられていた。そして、これを機に同社のプラネタリウムは世界から大きな注目を集めていくことになるのである。

その後も五藤光学研究所は、小型から超大型のものまで多種多様なプラネタリウムの開発と量産を進め、日本はもとより世界中の天文台や博物館、商業施設などに数多くのプラネタリウムを納入している。その代表的な製品の一つが、2004年に開発した、光学式プラネタリウムと全天周デジタル映像システムを融合した世界初の「ハイブリッド・プラネタリウム」である。また、2010年に開発した機種「ケイロン」は1億4000万個を超える恒星の投映を実現し、2012年には光源をLED化した「ケイロンⅡ」を開発した。さらにその発展型である「ケイロンⅢ」では、肉眼で見ることのできる約9500個の恒星全てに固有の色を付け、世界で初めて星の明るさだけでなく色彩まで忠実に再現した。

「我々が徹底してもの作りにこだわるのは、プラネタリウムが映す星空をより本物に近づけたいからにほかなりません。今や東京都心では天の川を見ることはできませんが、空気の澄んだ山などに登れば、いつでも美しい星空と出会うことができます。プラネタリウムをきっかけに1人でも多くの人に星や宇宙に興味を持っていただき、本物の星空の美しさに感動してもらいたいと思っています」と五藤さんは言う。

ハレー彗星に魅せられ、自ら天体望遠鏡を作り始めた創業者の星空への想いは、今でもしっかりと息づいている。