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400年続く「もち食」文化

日本の伝統的な食べ物である「もち」。岩手県南部の一関市、平泉町では、400年にわたり独特のもち食文化が受け継がれている。

もち米を蒸して木や石の臼で粘り気が出るまでついて、丸めたり、平たくして食べる「もち」は、古来、神聖な食べ物とされてきた。今も正月やお彼岸など祭事には皆でもちを食べる慣習がある。中でも岩手県の一関市と平泉町は、1年を通してもちを食べる日が決められた「もち暦」があるほど、特色あるもち食文化を持つ。

一関・平泉一帯は、江戸時代、現在の岩手県南部から宮城県及び福島県北部を治めた仙台藩の領内だった。藩の初代藩主、伊達政宗は、数々の政策で藩の繁栄の基礎を築いた名武将として知られる。

一関もち食推進会議の会長、佐藤晄僖さんは「仙台藩の命で、農民は毎月1日と15日はもちをつき、神様に供えることが決められていました。地元産のもち米で産業を振興する、仙台藩の政策の一つだったのだと思います」と話す。これがやがて庶民に広まり、「もち暦」には季節の節目など年間60日以上も、もちの日が記されるようになった。

「もち食は元々、儀礼を重んじる武家の文化から生まれたので、今も冠婚葬祭の席でのもちの食べ方には細かい作法が存在するのです。私の妻は同じ仙台藩でも他の地域から嫁いできたので、初めは戸惑っていました」と佐藤さんは話す。

武家で食べられていたものは「もち本膳」と呼ばれる料理である。本膳料理は鎌倉時代の武家の礼法が発祥とされる、祝いの席などの儀礼食である。仙台藩はこの形式に則りながらも独自に、もちの入った料理を取り入れたもち本膳を考案した。もち本膳には、もちを汁に入れた「雑煮」の他、「ずんだ」という潰した豆や、「じゅうね」とよばれるエゴマ、ヌマエビなどの食材をもちに絡めて食べる料理などが並ぶ。もち本膳の席では、「おとりもち役」と呼ばれる仕切り役がいて、「おいでいただき、うれしく存じます」などの口上が述べられた後、おとりもち役の進行に従ってもちの椀を食べる。

「他の地域の人からすれば、独特の食文化に見えるのです。地元の人はもちなど日本のどこにでもあるものだと言っていたのですが、一関・平泉のもち食はこの地域特有の郷土食と言って良いのではないかと思うようになりました」

佐藤さんの呼びかけで2010年に設立された一関もち食推進会議は、講義や実習を通じてもち食文化を学ぶセミナーのほか、一関・平泉のもち食文化を地域の内外に周知する活動を積極的に行っている。2012年から、毎年、全国各地の特色あるもちが一同に集まる「全国ご当地もちサミット」を開催した (2020年4月に「もちフェスティバル」としてリニューアル開催予定)。そして、2016年には、地域の伝統的な食文化を海外に発信する重点地域として農林水産省が認定する「SAVOR JAPAN」に、一関市と平泉町が認定された。

本来、季節ごとの食材で彩られる一関・平泉のもち食は、近年チーズ、トマト、カレーなども取り入れるなどますますレシピが多彩となり、300種類を超えるまでになっている。

「すっかりカジュアルになったもち食ですが、もち食文化が生まれた背景や長年の伝統を、しっかりと後世に伝えていきたいです」と佐藤さんは話す。

一関・平泉の専門店や旅館では、手軽なもち御膳が食べられるほか、予約をすれば、おとりもち役が口上を述べ、作法に則って食べる本格的な「もち本膳」を体験できる店もある。

一関・平泉を訪れた際には、400年以上にわたるもち食の歴史や文化をその味とともに堪能してみてはどうだろうか。