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Highlighting JAPAN

インフラと観光を支える巨大ダム

立山黒部アルペンルートでは、雄大な山々の眺め、春の巨大な雪の壁「雪の大谷」、四季折々で色を変える中部山岳国立公園の木々などを楽しめる。このルートの主役と言えるのが、黒部ダムである。

日本列島は、細長く急しゅんな山脈が貫いている。戦後の高度経済成長期には電力の安定供給のため、各地で水力発電所が造られた。その中でも1956年から7年の歳月をかけ建設された黒部ダムは、アーチ式の美しい構造物であり、高さは日本一の186メートル、堤頂長は492メートルの規模を誇る。美しくも険しい難所に造られた過程が映画化されるなど、様々な物語にあふれている。

黒部ダムが位置する中部山岳国立公園は、新潟県、富山県、岐阜県、長野県にまたがり、飛騨山脈(北アルプス)一帯の3000メートル級の山々で構成されている。公園内を貫く「立山黒部アルペンルート」は、長野県大町市と富山県立山町の山岳観光地をつなぐ世界有数の美しい山岳観光ルートである。最大高低差は1975メートルに達し、バス・ケーブルカー・ロープ―ウェイを乗り継ぎ、巡ることができる。

黒部ダムでは、その規模が生み出す迫力ある放水、立山連峰と後立山連峰が間近に迫るダム湖を巡る遊覧船などを楽しむことができ、年間約100万人の観光客が訪れる。

このダムを管理する関西電力株式会社の北陸支社コミュニケーション統括グループ、リーダー野口美佐子さんは、黒部ダムについて、「第二次世界大戦後、関西地方は工場や一般家庭での計画停電が続く深刻な電力不足に陥りました。打開策として、それまで厳しい自然環境や技術的な課題から具体化されなかった黒部川上流の開発を決断しました。黒部ダムと黒部川第四発電所の建設は、延べ1000万人の労働力と総工費約513億円という、当時としては破格の規模の、まさに社運を賭けた大事業でした」と語る。

1950年代まで水力が主な発電源だった日本では、急勾配で水量の豊富な黒部川は、かねてから水力発電の適地として注目されていた。しかし、1年のうちおよそ5か月は豪雪に埋もれ、人が足を踏み入れることのない過酷な峡谷では、測量も命懸けだったという。1910年代から黒部川の電源開発は始まったが、1950年時点で、黒部ダムよりも下流に5か所の発電所を建設するにとどまっていた。この時、建設資材を運んだのは、富山県の宇奈月から欅平間で現在、黒部峡谷鉄道として観光用に運行しているトロッコ電車だった。更に上流の奥地に大規模なダムを建設するためには、資材と重機を運ぶ別のルートが必要となり、そのルートとして、長野県の大町とダム地点を結ぶ全長5.4キロメートルのトンネル工事に着手した。

ところが、約半分掘り進めた所で、毎秒660リットルもの地下水と土砂が噴出する軟弱な地層(破砕帯)が出現し、黒部ダム建設の最大の難関となった。工事は困難を極めたが、当時の土木技術を駆使し、7か月をかけて約80メートルの破砕帯を突破し、掘削開始から約2年後の1958年に大町トンネルは開通した。

こうして黒部ダムと黒部川第四発電所は1963年に完成し、重工業の発展、市民の生活の安定と、関西地方の戦後復興に大きく寄与した。

「黒部ダムは、重要な社会インフラでありながら、観光面でも魅力を提供しています。国立公園内であることから、発電所は施設を地下に埋設するなど、建設当初から環境への配慮がなされていました」と野口さんは話す。

資材輸送用トンネルも現在、「関電トンネル」としてアルペンルートの一部になっている。トンネルは観光用に開放されて以来、排気ガスを出さないトロリーバスを走らせ、多くの観光客を楽しませてきたが、本年4月には更に、電気バスに刷新された。

黒部川第四発電所の最大出力は335,000キロワット、一般水力発電所による発電能力としては日本第4位である。水力発電は電力の消費変動に柔軟に対応できるメリットがある。完成から56年、黒部ダムは今なお、社会を支える大きな役割を担うと同時に訪れる人々をいつも楽しませている。