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Highlighting JAPAN

ウガンダと日本を結ぶコットンの絆

ウガンダ産の高品質なコットンを輸入し、超が付くほどオーガニックなタオルを製造・販売しているメーカーが大阪にある。親子2代にわたり続くビジネスが遠く離れた二つの国を結び付けている。

アフリカ東部、赤道直下の東アフリカ高原に位置するウガンダは、肥沃な土壌と豊富な降水量に恵まれ、国民の7割以上が農業に従事している。代表的な農作物には、コーヒーを始め、コットン(木綿)、お茶、そして煙草がある。ウガンダのコットンはオーガニックで良質でありながら、繊維産業が未発達のため原料として輸出されてしまい、付加価値の高い製品の生産や、農家の所得向上につながってこなかった。しかも安価な輸入繊維製品などが市場にあふれる状況があり、ウガンダの繊維産業は国際競争力を持つに至っていない。そうした中、ウガンダ政府と共に、オーガニックコットンに付加価値を付け、栽培農家の収入と生活の質の向上に一役買っている日本企業がある。日本タオル製造発祥の地として知られる大阪府泉州地区にある株式会社スマイリーアースである。

同社は、ウガンダ北部グル市で生産されたオーガニックコットンを輸入し、化学薬剤処理を一切行わない環境配慮型タオルを製造し日本国内で販売している。

この事業は、現社長の奥龍将さんの父である竜一さんが始めたものである。ウガンダ産コットンを使うことになった背景には、地場産業を揺るがす二つの出来事があった。一つは、1990年代にアジアからの廉価なタオルの輸入が急増し伝統ある泉佐野市の多くの同業者が廃業・撤退を余儀なくされたこと。もう一つは、泉佐野市のタオル生産量がピークを迎えた1990年代後半から2000年代初頭に市内を流れる川の水質汚染が国内最悪となったことだった。タオル生産量の減少と市民の取組によって水質汚染は改善してゆくことになったが、この時、竜一さんは汚染の原因の一つとなった工場排水を解決する事と、自身が愛してやまなかったアフリカとつながる、誰にも真似できないタオル作りを決心した。

竜一さんの挑戦を知ったアフリカ在住のジャーナリストから、延べ30年以上もウガンダに在住し衣料工場を営み「ウガンダの父」と呼ばれる柏田雄一さんを紹介された。2006年、彼はウガンダを訪問、農薬や化学肥料を使わずに栽培されたコットンに感動した。彼はそのコットンで、自社のタオルを作りたいと提案すると、ウガンダの農家が無農薬で手間暇かけて栽培した努力を無駄にしないようにという条件の下、柏田さんはオーガニックコットンの提供を約束してくれた。

そのような経緯を経て、竜一さんは2007年、2年がかりで自社の敷地内に、撚糸紡績から加工までを一貫して自社で行う新しい工場を完成させた。さらに、水道水の塩素を避けるために井戸を掘り、ウガンダ産シアバターソープを自ら工場内で作り、独自の綿糸洗浄に関する精練技術を開発した。その結果、化学薬剤の使用量は従来の400分の1以下となり、環境に負荷を与えないタオルづくりを行うことができている。

龍将さんは、2013年に柏田さんのウガンダの会社で、3ヶ月間のインターンを経験し、帰国後に同社の2代目社長に就任した。今でも龍将さんは年に数回、ウガンダを訪れ、グル市の提携先農家とも寝食を共にしながら、コミュニケーションを重ねている。

「過去に自分たちが求める品質に達しないコットンが届き、順風満帆とは言えませんでしたが、対話を重ね信頼関係を築くことで、綿農家は高品質なオーガニックコットンの栽培に真剣に取り組んでいます」と龍将さんは語る。

龍将さんは、2015年に高齢のため日本に帰国した柏田さんの後継者としてウガンダ政府から認められ、オーガニックコットンの生産拡大と市場拡大を目指し、農家を支え、また日本とウガンダをつなぐ様々な友好交流などを陰で支えるコーディネーターとして活動している。

2017年に泉佐野市がグル市と友好都市となり、2020年東京オリンピック・パラリンピック大会のウガンダ事前合宿受入れホストタウンに泉佐野市と長野県立科町が登録された際も、龍将さんは大切な橋渡し役を担った。

コットンとタオルをきっかけとして、ウガンダと日本の結びつきが広がってきている。