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Highlighting JAPAN

 

国家の成立にも深くかかわった日本の風呂

日本の都市部に風呂が普及する過程で、仏教が重要な役割を果たしたと言われている。寺院が民衆向けに提供した功徳湯がそれで、当時の国家の成り立ちにも深くかかわるという。風俗史家で入浴の歴史にも詳しい下川耿史さんに謎解きをしていただいた。

日本の都市部で風呂が親しまれるようになったのは、インドに生まれ、中国大陸から朝鮮半島を経て入ってきた仏教の強い影響があると下川耿史さんは言う。仏教が国同士の公的な交渉として、百済(朝鮮半島南西部にあった国)から日本に伝わったのは538年とされる。その後、日本の政治・行政の中枢だった朝廷が仏教の教えを下敷きに国家体制の安定化を図り、各地に寺院を建設したことなどから、仏教は全国に広まっていった。

「そうした仏教の教えの中に、水や湯を体にかけたり体を浸したりして、世俗のけがれを流し去るよう勧める『沐浴の功徳』があります。功徳とは非常に良い行いの意味で、実行すれば7つの病を取り除き、7つの得を得ると『仏説温室洗浴衆僧経』に書かれているそうです。この考えを基に、寺院の僧が自らを清めるだけでなく、民衆にも沐浴の機会を提供し、僧たちは修業の一環としてそれを手伝う『功徳湯』が生まれました。世界遺産にも含まれる東大寺に作られた大湯屋がその始まりと考えられ、ここは僧と民衆の両者が沐浴する場所だったようです」と下川さんは説明し、同時に大湯屋が風呂の始まりでもあると指摘する。

「もちろん、それ以前から自然に湧いた天然温泉への入浴は行われており、733年に完成した『出雲国風土記』を始め、その土地の歴史・風習などをまとめた各地の郷土史にも温泉入浴のことは記されています。また、日本古来の神道にも水を体にかけて清める禊(みそぎ)がありました。しかし温泉地から離れた都市部に、恒常的な入浴施設として風呂が作られたのは、資料が残っているものでは東大寺の大湯屋が最古と考えられるのです」と話す。

大湯屋の完成時期は明確ではないが、東大寺の工事が始まった745年から工事の担当部署が廃止された789年までの間と下川さんは推測する。なおこの時代の風呂は、室内に水蒸気をためて体を温める方法(温室)か、水や湯で体を流す方法(浴室)で、現代のように湯船を使った半身浴・全身浴とは異なっていた。

当時の朝廷は国全体に通用する法律を作り、住民の戸籍や土地を管理するなど国家体制の整備を進めていた。この時に精神的支柱となったのが「仏教の力によって災いを避け、国の安定を図る」という考え方である。そして仏教を各地に普及させる役割を担った寺院にとって、沐浴は民衆の支持を得る重要な施策となり、やがて東大寺以外の多くの寺院でも功徳湯が行われるようになっていく。

「一方で民衆にとっては、風呂で体を清潔にすれば感染症予防にも役立つなど、健康増進にも大きな意味を持っていました。仏教を信じることで利益がもたらされる『現世利益』を実感できた事例と言えます」と下川さんは説明する。民衆が風呂を高く評価したことで仏教を受け入れやすくなり、国家体制の整備にも役立った。風呂が日本という国家の成立にも深くかかわったといえよう。