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Highlighting JAPAN

 

世界が認める耐衝撃ウオッチG-SHOCKの原点

1983年に発売され、2017年9月には世界累計出荷1億個を達成した耐衝撃腕時計「G-SHOCK」は、日本の精巧なものづくりを象徴するプロダクトの一つである。誕生の背景には開発者の苦い経験と独自の着想があった。

腕時計は、第一次世界大戦による軍隊への供給がきっかけになって世界中に広まったとされる。当初は欧米が生産をリードしていたが、戦後、日本メーカーも技術を向上させ、世界の市場で受け入れられるようになった。メイドインジャパンの特徴は「安価でありながら正確なクオーツ時計」だった。そのような中独自の「耐衝撃性能」を追究し、新たな市場を作り上げたのがカシオ計算機株式会社の「G-SHOCK」である。

「きっかけは弊社の技術者・伊部菊雄が高校の入学祝いに親から贈られた腕時計を自らの不注意で落とし、バラバラになった姿を見たことでした。当時、時計は落とせば壊れることが当然の、今よりはるかにデリケートな商品だったのです。伊部は『落としても壊れない腕時計』という1行だけの企画書で会社のGOサインを獲得して、研究開発を始めました」と同社広報部・柳原春花さんが説明する。

当初の開発方針はゴムのような緩衝材を、腕時計の心臓部に相当するモジュールの外側に巻いて守ろうというものだった。約10mの高さから落として対衝撃性能を検証し、壊した試作品は200を超えた。ようやくモジュールを守れた品は緩衝材が厚くなり、リンゴ大のサイズになったと言う。これではとても商品化できない――追い詰められた伊部さんを救ったのが公園で偶然見かけた少女だった。「その子は“まりつき”をして遊んでいて、伊部の目には、そのゴムまりの中にモジュールが見えたのだそうです。そうして得た着想が、腕時計の内部でモジュールが浮くように点で支える『中空構造』でした。さらに落下した際、ボタン、液晶画面などが直接接触しない『全方向カバリング』も考案しました。この2つの性能は、全てのG-SHOCKに搭載されており、商品の基本コンセプト『アブサルート・タフネス(絶対強度)』を実現しています」と柳原さんは続けた。

G-SHOCKは2年の開発期間を経て1983年に欧米や日本で同時発売された。今日の世界的人気を博す端緒は、1984年に制作されたアイスホッケー選手がアイスパックの代わりにG-SHOCKを打つTVCMだった。誇大広告ではないかと非難を浴びたが、後にアメリカのTV番組が検証し、耐衝撃性が実証されたと言う。以来、アウトドア愛好家や消防士、警察官、米軍などに受け入れられた。柳原さんは「さらに1990年代にはアメリカ西海岸のスケートボーダー達を中心に頑丈さやファッション性が支持され、それが逆輸入の形で日本の若者に紹介されて国内人気につながりました」と語る。

以降、カシオ計算機は海外のスポーツ選手や音楽・ファッションアーティスト、自動車、消防局などとのコラボレーションや1000以上の専売店を展開した。あわせて、G-SHOCKは、絶対強度を堅持しつつ、電波ソーラー、GPS電波受信や天候予測、スマホ連動による世界の時刻取得システムなど機能性においても進化を遂げてきた。欧米、日本に加えてアジアでも周知され、2017年9月には遂に世界累計出荷1億個を達成した。

「革新的技術の搭載や新素材を採用しようとするたびに、その耐衝撃性などの品質を保証するための実験項目が増え、現在では200近くに及んでいます」と柳原さんは言う。今後もG-SHOCKの進化は止まることはないだろう。