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Highlighting JAPAN

 

驚きや感動を生み出す日本的表現の真髄とは

ジャンルを超え国際的に活躍する、狂言師の野村萬斎さん。2020年東京オリンピック・パラリンピック開閉会式の総合統括も務める同氏に、人々を魅了する演出や、伝統と現代技術、日本ならではの表現精神を伺う。

重要無形文化財「能楽」保持者の狂言師として、また2020年東京オリンピック・パラリンピック開閉会式の総合統括として、日本のエンターテインメントが持つ「おもてなし」の精神とはどんなものとお考えでしょうか。

私たちが世界に向けて提示すべきはわかりやすい娯楽なのか、それとも芸術なのか、ありきたりでも奇妙奇天烈になってもいけないし、と悩ましい日々ですが、オリンピック・パラリンピックが日本の東京で行われることを発信するためには、開閉会式はどこか相手のピッチに立ってお客様を楽しませながら日本的なアイデンティティも感じてもらうことが一番です。楽しさの中にも「余白」を残し、見る側の想像力をうまくかき立て、それぞれの経験や思いを反映していただくのが、日本的な表現における「おもてなし」の在り方と捉えています。

古典芸能は、現代では日本人にとってさえ日常からかい離したもの。それを外国の方も理解できるよう丁寧に世界観を補完するのがテクノロジーの役目と考え、私も過去様々な機会にそのような使い方を模索してきました。テクノロジーでお客様をびっくりさせることも必要ですが、物量主義的な「脅かし」ばかりになってもいけない。一方で余白の美を生かし、見る人の想像力をひとしお刺激する、双方への「振れ幅」が今回のような大規模なイベントでは必要ではないかと考えております。具体性のない闇のような、何もない所に何かが生まれ、大規模に展開しながらやがて何もない所に戻る。ミクロに視点が入り込むかと思えばマクロへと体が飛ぶような、表現の方向を伸縮自在にすることで人の五感を揺さぶるのが、日本文化が伝統的に持つ、機知に富む表現手法なのだと思います。

萬斎さんが人々を楽しませ、感動へ導くために心掛けていらっしゃることとは?

狂言などの古典芸能は、舞台から発する情報が少ない分、色々な角度の表現で味付けをしますので、感性を磨くため、日頃から何に対しても興味を持っています。また、狂言の伝統的な型とはつまりデジタルな手法であり、その型をその時その場でどう繰り出すかで、観客と演者が題材は古典ながらも現代人同士、時代の空気感をライブに共有することができます。型は表現ツールとして、非常に有効なものです。型は一種、先祖伝来の文脈の上で培われてきた、私たちが舞台で生きるのに必要な教養でもある。ですから、型の研さんも止むことはありません。

2020年東京オリンピック・パラリンピックを含め、今後の抱負についてお聞かせください。

東京2020大会とは、様々な災害に見舞われ続けた日本の復興オリンピック・パラリンピックです。オリンピック・パラリンピックの元々の発想は平和であり、あまたの先祖たちの命を継承して今を生きる人たちが、生きていることの力強さや生命のほとばしりを見せる催しであるべきではないかと考えています。日本では古来、祭りは鎮魂と再生の意味合いが強いもので、セレモニーでありながらレクイエムでもある。私は今回、オリンピック・パラリンピックへの準備で死生観と言いますか、生きることの根本を考えているような気がします。プレッシャーはありますが、この大きな仕事を一つの糧とし、芸道にも活かして参りたいと思います。