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Highlighting JAPAN

民謡に魅せられて

プロの民謡の踊り手のカナダ人のモード・アルシャンボーさんは、世界に日本の民謡を知ってもらおうと唄や踊りを披露している。

日本の民謡は、全国各地で古くから、祝いや祭りなどの儀礼の場、農林漁業などの労働の場において、民衆に歌い踊り継がれてきた。民謡の普及・継承活動を行う団体の中で、一般社団法人日本民謡プロ協会はプロの演奏家・舞踊家だけが所属できる団体である。2014年、この協会に初めて外国人の舞踊家として、カナダ出身のモード・アルシャンボーさんが登録された。

アルシャンボーさんは「民謡は、華やかな曲、威勢の良い曲、少し寂しい曲と様々ですが、どれを聞いても不思議と元気が出ます。体調や気分が優れない日でも、稽古場に来てみんなで息を合わせて演奏すると、必ず元気になるのです」とその魅力を語る。

カナダのモントリオール大学で心理学を専攻していたアルシャンボーさんは、副専攻で受講した東アジアの研究後に日本に興味を持ち、もっと日本のことを知りたいと思うようになり、2001年に来日した。来日後、勤務した英会話学校で生徒に「三味線を習ってみたい」と話したところ、今も所属する埼玉県蕨市のムラマツ芸能技塾を紹介された。「日本にいる間に日本でしかできないことを体験したいと思って始めたのが民謡でした。気がついたらもう15年、民謡に携わっています」とアルシャンボーさんは笑って話す。

ムラマツ芸能技塾では、塾生が曲の理解を深めるために民謡の四つの科目である、唄、踊り、三味線、太鼓を1曲ごとに稽古する方針を掲げている。アルシャンボーさんも、三味線だけでなくすべての科目を学び、今では踊りが一番好きだという。民謡を踊る際に欠かせない和服の着付けもすぐに覚えた。アルシャンボーさんは唄の発声法と独特の節回しを習得するのが難しかったと言うが、2011年に公益財団法人日本民謡協会主催の民謡民舞埼玉県第二連合大会(青年部)で優勝して国技館での民謡民舞全国大会に出場を果たした。

この時に歌ったのは『津軽タント節』。元々秋田県の唄で、雪に閉ざされ農作業のできない長い冬の間、藁細工を作るために稲わらを叩いて柔らかくする作業の場で、その叩く音を拍子に歌ったものである。この唄を隣の青森県津軽地方の人々が持ち帰ったのだった。今では津軽三味線の伴奏もついて、民謡の名曲の一つとして広く親しまれている。

民謡の原点は、こうした作業に合わせて口ずさむ仕事唄であり、今も日本の各地に多く歌い継がれている。アルシャンボーさんは、新しい民謡を習うと、その曲の発祥の地を訪ね、曲の背景となった歴史や風土を学ぶようにしている。茶の産地として有名な静岡県を訪れたときは、茶葉の摘みとり作業も体験した。

「茶摘み唄の踊りには茶摘みの動作が取り入れられていることがよく分かりました」とアルシャンボーさんは言う。

今では、日本人に民謡の解説をするほど、アルシャンボーさんの民謡に対する知識は豊富になった。「民謡は、昔ながらの土地土地の暮らしをその土地の言葉で歌ったものですから、ぜひ残していって欲しいです。曲の意味が分かれば、皆さん、もっと自分の住んでいるところの民謡に親しみが持てると思います」とアルシャンボーさんは言う。

現在、アルシャンボーさんは週に3日、演奏と踊りの稽古に励みながら、各地のイベントなどにも出演している。特に、師匠とともに選曲から進行までを作り上げる舞台演出に、最も民謡の良さを伝えられる要素が詰まっているとアルシャンボーさんは考えている。今後はその活動に力を入れていく考えだ。

さらにアルシャンボーさんは、海外にも日本の民謡を発信したいと考えている。「海外では、歌舞伎はよく知られていますが、日本には、他にも素晴らしい芸能文化があり、民謡がその一つだということを伝えたいです。唄や踊りを披露するだけでなく、どんな歴史背景があってどんな意味が込められているか説明すると、海外の皆さんも日本の昔の暮らしが想像できて楽しめると思います。そのためにも、もっと勉強を続けたいです」とアルシャンボーさんは語る。「ただ、あまりにも曲の数が多すぎて、全部を覚えて理解するのには、一生かかってしまいそうです」とアルシャンボーさんは話す。

日本の民謡は、現在まで残されているものだけでも58,000曲を超えると言われている。アルシャンボーさんがレパートリーを増やし唄い踊り続けるにつれ、どこに行こうとも日本の民謡は彼女を元気づけることだろう。