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Highlighting JAPAN

 

日本の現代建築:明治維新から今日まで


現代の日本建築について、建築史家であり多くの高所に設けた茶室などの建築を手掛ける藤森照信・東京大学名誉教授に話を聞いた。

最初に、日本の現代建築の特徴について教えてください。

日本の現代建築は、明治維新から第二次世界大戦前と大戦後から現在までに大別することができます。日本は近代化を進める中でイギリスを中心に、フランス、ドイツ、アメリカなどの西洋建築を受入れ始めました。大正・昭和期は、自分たちの解釈やセンスで様々な建築に取り掛かりますが、ヨーロッパの建築によく似たものでした。戦後、ようやく日本の建築家はモダンなスタイルへの取組を活発化させ、今日に至っているわけです。

戦後日本のモダンな建築スタイルを象徴するものは…

丹下健三(1913-2005)さんですね。長い学習の成果が戦後に花開いて、「丹下」という傑出した建築家を生み出すことになりました。彼は20世紀後半の世界の建築のトップと言っていいでしょう。彼が最初に世界に衝撃を与えたのは1955年の広島ピースセンター(現在の広島平和記念資料館及び平和記念公園)、そして1958年の香川県庁舎でした。この二つの建築は、ヨーロッパにはない、柱と梁を美しく組み合わせた建築です。これが日本の現代建築を間違いなく世界のトップレベルに押し上げたのです。丹下さんは、柱と梁の組み合わせが枠組を作ること、その枠組が作り出す美しさに気が付いたのですね。丹下さんは日本の伝統の木造の枠組構造を打ち放しのコンクリートに置き換えることに成功しました。ヨーロッパの建築は、柱と床を強く意識した建築で梁を意識しない点が特徴です。丹下さんが示した枠組構造は存在しない概念でしたから、それは衝撃だったのです。

丹下健三さんと言えば、1964年の東京オリンピック国立屋内総合競技場(現在の国立代々木競技場)が有名ですね。

なかでも東京オリンピックプール(現在の国立代々木競技場第一体育館)です(参照)。率直に言って、これが戦後の日本建築のピークでしょう。

無論、丹下さん一人、単独で世界のトップに立ったわけではありません。丹下さんは、例を挙げるならアメリカの建築家エーロ・サーリネンと世界の先陣争いを繰り広げていましたから。その争いに終止符を打つことになったのが丹下さんのオリンピックプールでした。

そこには日本的な要素があって、屋根は東大寺のそれを彷彿させます。その屋根は柱で支えられると同時に、吊り橋の吊り構造を二重に用いています。また壁は屋根に向かってアーチ状に伸びています。柱、アーチ、そして吊り構造という極めて特徴的な近代構造になっているのです。これは20世紀後半の構造表現主義、つまり構造体をできるだけ美しいものとして表現する手法です。丹下さんのオリンピックプールはその理想形で、これを超えるものはその後も現れていません。丹下さんは日本の伝統的な良さを現代建築の中にうまく昇華させました。

丹下さん以降の日本建築の特徴を教えてください。

全体として素材の美しさが表に出てくること、そして薄くて軽くて細いという、いわば日本のものづくり的な特徴があります。丹下さんのプールもそうですが、丹下さん以降、日本の伝統的な要素は直接的には表に出てきません。

例えば伊東豊雄さんや妹島和世さんの建築は自由な表現で独特の感覚があります。伊東さんの筒状の柱を中心にした特殊な構造が特徴のせんだいメディアテークや台湾のオペラハウス(台中国家歌劇院)は傑作ですし、妹島さんと西沢立衛さんの金沢21世紀美術館は細く軽くという空間の代表です。一見すると分かりにくいのですが、彼らの建築には自由な表現の中に、薄いとか細いといった感覚的な特徴があって、さらに几帳面に細部を仕上げるのです。日本の伝統と言えるものです。

藤森先生は建築家として多くの茶室を手掛けられていますが、茶室と日本の現代建築の通用性をどうご覧になりますか?

茶室のような建築の小ささを使いこなす点が日本の特徴です。現代建築への示唆はすごく大きいと思います。ヨーロッパの都市や文明にはピラミッドのような巨大建築のイメージがありますが、日本にはありません。世界中、文明が高度になるほど、洗練された質の高い小さいもの、コンパクトで美しいものを求める傾向を見せます。茶室は、ピラミッドの対極にある建築の面白さと言うことができます。木造、その素材と繊細さが作り上げたもので、現代の日本建築にも通じているものです。そうした要素があいまって、日本の現代建築は世界から高い評価を受けていると言えるでしょう。