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Highlighting JAPAN

日本の国技を教える

大相撲の道をめざしてモンゴルからやってきたレンツェンドルジ・ガントゥクスさん。彼は今、モンゴル人、また日本人の若き後進達の育成に取り組んでいる。

鳥取県にある鳥取城北高等学校は相撲の名門校だ。その相撲部の顧問を務めるのは、モンゴル人のレンツェンドルジ・ガントゥクスさん。同校は、毎年モンゴルから相撲の留学生を受け入れている。ガントゥクスさんの指導を受けた留学生が何人も日本の相撲界に入り、活躍している。その功績が讃えられ、ガントゥクスさんは、今年5月にモンゴル大統領から北極星勲章が授与された。

「授与式が行われたモンゴル大使館には、日本の相撲界にいる教え子達や、親友の第69代横綱・白鵬がサプライズで来てくれました。とても嬉しかったです」とガントゥクスさんは語る。

横綱は、大相撲の力士の格付け(番付)における最高位の称号である。最近の相撲界では、2003年の68代朝青龍から71代まで、モンゴル出身の横綱が続いた(2017年1月に72代の日本人横綱が誕生)。ガントゥクスさんも白鵬と同時期に横綱になることを夢見て日本に来たモンゴル人力士の1人であった。

力士を目指したきっかけは、子どもの頃、モンゴルの相撲である「ブフ」の大会に出場して3位になったことだった。出身のトゥブ県と姉妹都市になっている鳥取県から視察に来ていた鳥取城北高校相撲部の監督にその強さを見出され、留学を勧められた。6人兄弟の末っ子だったガントゥクスさんを可愛がっていた母親は反対したが、父親や兄弟たちに後押しされて、2000年3月、15歳で日本に渡る決意をした。

言葉の壁、慣れない食事、ブフと日本の相撲の違いなど、ガントゥクスさんは苦労をしながら強くなりたい一心で努力を続け、高校2年生のときは国民体育大会で個人戦5位、3年生のときは団体戦のレギュラー選手として主要な全国大会ですべて優勝した。

日本の相撲には重量制限がない。小さな力士が大きな力士を倒すのは、相撲の見どころのひとつだ。体が小さいガントゥクスさんの得意技は、下手投げや下手捻り。これらの技は大きな力士の下に潜り込むようにして投げ飛ばすため豪快だが、体には大きな負担がかかる。ガントゥクスさんは首の骨がずれる大怪我を負い、難しい手術をするかどうか悩んだ末、プロ入りを断念し、重量制限のあるアマチュア相撲の世界に進んだ。その後、母校で後進の指導の依頼を受けた。

「モンゴルから来た子供達は、初めは皆とても弱い。ところが、私が指導をすると見違えるように成長します。指導することの喜びや素晴らしさを感じるようになりました」とガントゥクスさんは言う。「国を離れ家族から離れてモンゴルから来た子供達は、相撲の技術だけではなく、精神面でも多くのことを学びながら強くなります。それが日本の子供達の刺激にもなって、お互いに良い影響を与えあっているようです」

ガントゥクスさんは、普段は生徒たちから「ガン先生」と呼ばれ、慕われて優しいが、稽古のときはとても厳しい。礼に始まり礼に終わると言われる柔道のように、日本の格闘技はみな礼節を重んじる。ことに相撲の起源が神事だったこともあり、その名残から作法や所作に厳しい決まりがある。

ガントゥクスさんは、日本に来た当初は納得のいかないこともあったというが、今は日本人より礼儀正しいと周囲から、そして生徒たちからも評される。たとえ稽古場であっても土俵は神聖な場所だ。ガントゥクスさんは、技術的な指導ももちろん厳しいが、稽古中に少しでも礼を欠く言動があれば容赦なく叱る。今夏、鳥取城北高校相撲部は全国高等学校総合体育大会の2連覇がかかっており、ガントゥクスさんの指導にもより一層力が入る。

モンゴルを出た当時は反対していた母親も、今は応援してくれる一番の理解者だ。「母のことを考えると帰りたいと思うこともありますが、私はこれからも日本で頑張るつもりです。教え子から横綱を出すことが私の使命だと思っています」とガントゥクスさんは語る。「今は、5歳になる私の子どもが相撲を始めたので、この子を強くしたいという新たな夢も加わりました」

日本の相撲を誰よりも深く愛するガン先生が育てようとしているのは、相撲そのものなのかもしれない。