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Highlighting JAPAN

筆の里

広島県の熊野町では、伝統技術を継承した職人による熊野筆と呼ばれる筆の製作が行われている。

書道は毛筆と墨を用いて文字を表現する芸術である。書道では文字のにじみやかすれも重要な表現となるため、毛筆にはきわめて繊細な機能が求められる。この毛筆のみならず、画筆、化粧筆で全国一の生産量を誇るのが、広島県熊野町(人口約25,000人)で作られる「熊野筆」である。

熊野筆は江戸時代(1603-1867)末期、広島藩の産業奨励策として技術が根づいた。江戸時代までは、日本では書道に限らず、個人の手紙から公的な書類まで、毛筆で書かれていたこともあり、日本各地で筆が作られていた。しかし、近代化が始まった明治時代(1868-1912)以降には、鉛筆、万年筆、さらには、ボールペンなどの筆記具が広がり、書道以外で毛筆が使われる機会が少なくなったため、筆作りは全国的に衰退していった。熊野町で筆作りが絶えなかったのは、四方を山に囲まれた盆地であるため、新しい産業がなかなか入ってこなかったためといわれる。

筆作りに携わる職人は今も町の人口の1割を占め、毛筆を作る職人が約1500人いる。そのうち22名が国の認める「伝統工芸士」に認定されている。

「何よりも重要なのは、毛を見分ける力です。この力を身につけるだけでも、最低10年はかかります」と伝統工芸士の實森得全氏は言う。實森氏はこの道47年、祖父の代から毛筆作りを受け継いできた。4代目となる息子の得応氏も、伝統工芸士である。

他の国で作られている筆は1〜2種類の毛しか使わないが、日本の筆は7〜8種類の毛がブレンドされて作られているのが特徴である。主として使われるのはヤギ、馬、タヌキ、イタチなどの毛だ。動物によって毛の特性が異なるのはもちろんのこと、同じヤギの毛でも首回りと尻尾では特性が異なる。それぞれの毛の品質を見極め、どうブレンドしていくかが質の高い毛筆を作るための最大の鍵となる。

選り分けた毛には籾殻を焼いた灰をまぶして、“火のし”と呼ばれるアイロンを当て、鹿皮に巻いて手揉みしながら余分な油分と汚れを取り除いていく。油分が残っていると墨をはじいてしまうが、油分を抜き過ぎると毛が切れやすくなって寿命が短くなる。長年の経験でその加減を見極めていく。

続いて、毛を櫛に通して綿毛を取り除き、少量ずつ積み重ねて毛をそろえる。毛先を完全にそろえたら、小刀を使って質の悪い毛を抜き取り、良い毛だけを徹底的に選り抜いていく。

その後、毛を5つの長さに切り分ける。筆は、長さの違う毛を重ね合わせることで、円錐形になるからである。薄糊をつけながら、長さの異なる毛を均一に混ぜ合わせていく。そして規格ごとに太さの異なる筒の中に毛を入れ、1本分の大きさに分けて乾燥させる。仕上げの段階では、外側を柔らかい細毛で包み込んで全体にバランスを持たせ、最後に毛の根元を麻糸で結び、焼きゴテを当てて焼き絞める。

「それぞれの毛をどこにどう使うかによって、毛筆としての“味”が変わっていきます。これを見極めることができないと、毛筆は作れない」と實森氏は言う。「とにかく経験を積むしかありません。見て、触って、失敗を繰り返しながら、体で覚え込んでいくのです」