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Highlighting JAPAN

文化財でお食事を

東京には美味しい食事だけではなく、その特徴的な建物で人気の老舗料理店が残る。代表的な2店を紹介する。

土手の伊勢屋

代表的な日本食と言われる、天ぷら、そば、寿司、うなぎは江戸時代(1603-1867)に現在にまで続く調理スタイルが確立した。日本人が未だにこの四つの料理を外食で食べることが多いのは、おいしく調理するのに職人の技が必要だからだ。

1889年に創業した当時、土手の伊勢屋は三階建てだったが、1923年の関東大震災で建物が倒壊してしまったため、1927年に現在の二階建ての店舗に建て替えられている。

昨年、店を長く休んで壁などを塗り直したが、常連の客からは「どこをどう直したの?」と聞かれるくらい見た目は以前とほとんど変わらない。「変わらないように直すのが大変なんですよ」と、「土手の伊勢屋」の四代目・若林喜久雄氏は苦笑いする。木枠の窓や千本格子のついた障子など古い建具を修繕するのに慣れた職人が少なくなり修理するのが大変になっているが、それでもまだ昔の雰囲気を今に伝えることができている。

建物は100年近く前のものだが、天ぷらの具材は時代に応じて変えているところもある。以前、土手の伊勢屋の天ぷらの具材は、東京湾で採れた海老や穴子などの魚介が主で、野菜の天ぷらはほとんどなかったという。

「時代によって食べ方や味の好みなどの流行り廃りがあるのは当然のこと。今は野菜が好まれるので、私の代から野菜の天ぷらを具材として多く使うようになっています」と若林氏は言う。

時が止まったような店の雰囲気を含め「ここでしか味わえない天ぷら」を求め、今日も客が店の前に行列をつくっている。

神田まつや

江戸時代、江戸(現在の東京)には3700軒以上のそば屋があったといわれる。当時の人口が約100万人ということを考えると、そばが当時の庶民の間で非常に人気の高い食べ物であったことが想像できる。

そうした江戸時代から伝統を守るそば屋が、1884年の創業「神田まつや」である。神田まつやはそば好きの人は誰もが知る老舗だ。開店から閉店まで客足が絶えない。特に12月31日の大晦日には大勢の人が押し寄せる。日本ではその日、「年越しそば」を食べる習慣があるからだ。神田まつやでは大晦日だけで8000食ものそばが売れる。

「そばは日本を代表する『ファースフード』だと思います」と六代目の店主・小高孝之氏は言う。「老舗だからといって敷居を高くしたくありません。江戸時代のそば屋と同じように、誰もが気軽に入ることができる店でありたいです」

神田まつやの現在の建物は1925年に建てられた木造二階建ての日本家屋だ。店内には約60席が用意されている。混雑時には、知らない人同士の相席は普通だ。

神田まつやが建つ「神田」と呼ばれる地域には、第二次世界大戦による空襲の被害を免れて、今も営業を続ける飲食店が数軒残る。昔の日本の面影を求めてやって来る遠来の客も多い。

「店の雰囲気を損なわないように、店や家具類の補修の時も、可能な限り、昔と同じ素材を使うようにしています」と小高氏は言う。「今後も、神田まつやの建物と味を守り続けたいです」